《逝去》三笠宮妃百合子さまがつづった「門外不出の育児日誌」若き日の雅子さまを支えたアドバイス
三笠宮妃百合子さまが11月15日午前6時32分、入院していた聖路加国際病院(東京)で亡くなった。101歳だった。百合子さまは今年3月に脳梗塞と誤嚥性肺炎と診断され、入院生活を続けていた。一時は集中治療室に入ったが、9月には一般病棟へ。しかし宮内庁は11月8日、“全身の機能が低下している”と百合子さまの容態悪化を発表していた。 【写真】英国から急きょ帰国された三笠宮家の彬子さま。他、車椅子で移動される三笠宮妃百合子さまの生前のお姿なども
1923年6月4日、百合子さまは華族の令嬢として東京に生まれた。18歳のときに昭和天皇の末弟である三笠宮崇仁親王と結婚し、5人の子どもを育てた。 大正生まれの百合子さまは、昭和、平成、令和と激動の時代を生きて、最高齢の皇族として知られた。100歳の誕生日に際し、宮内庁を通して発表したメッセージでは、自身の半生をこのように振り返っていた。
〈結婚後は、私自身の皇族としての公務を果たしながら、宮様をお支え申し上げる日々を送っておりました。こうした中でも家族の思い出となる記録を残したいと思い、家族一人一人の歩みが分かるように写真アルバムを作成したり、5人の子供たちの育児日誌をつけたりと、時間に追われながらも充実した毎日を過ごしておりました〉 百合子さまが20年にわたって記録した育児日誌『暁乃柊(あかつきのひいらぎ)』は“門外不出”のものだが、2005年に出版された高円宮憲仁親王の伝記『高円宮憲仁親王』(読売新聞社/中央公論新社)にその一部が収録された。同伝記は雅子さまの手元にも届けられたという。当時、皇室関係者がこのように証言していた。 「来春には、愛子さまも幼稚園におはいりになります。この貴重な“育児日誌”は、今後の子育てにとても参考になるものといえます。わが子の成長での悩みも年を重ね深い愛情を注ぐことで解決すると、雅子さまへの大きなアドバイスとなることでしょう」 また、2018年に結婚し皇室を離れた守谷絢子さんが饗宴の儀で着ていた緑色のドレスは、祖母である百合子さまがもともとお召しになっていたものだ。孫やひ孫の成長を何よりも楽しみにしていたという百合子さま。“偉大なる母”の思いは、皇室に脈々と受け継がれていくはずだ。
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