大谷翔平は「書かずに勉強していた」花巻東の同級生・山根大幸が振り返る高校生活、その後の野球人生「引退を報告すると翔平からは…」
感じ取った大谷の気持ち
大谷にもLINEで引退を報告した。「本当は続けたいんだよね」と付け加えると「できれば続けてくれたらありがたいな」と返された。 「翔平の中で、野球を続けている人間を応援したいという気持ちがあって、自分だけ野球を続けているのが心苦しいという気持ちがあるんだと思います」 ただ、山根さんは、グラブとボールを置いて社業に残る選択を決断。現在は、埼玉中央代理店営業支所の代理店担当営業課長補佐として、日々の営業活動に勤しんでいる。
3年働き、つかんだ「戦えるぞ」という手応え
「最初は会社の人が何をしゃべっているのか分からないし、専門の用語も分かりませんでした。ただ、3年ぐらい経つと『戦えるぞ』と思えるようになりました。野球の道が絶たれて、僕も最初は頭が真っ白になりましたけど、そこまで悲観的になる必要はないのかなと思います」 新たな夢もできた。「人生の中でスポーツでの目標がなくなるのが嫌だった」と、JPDA(日本プロドラコン協会)のテストを受け合格。野球で鍛えた体を武器に、大会では358ヤードを飛ばしたこともある。現在は夢の400ヤードに向け、ドライバーを振り続けている。
大谷翔平は「プロに行く基準でした」
あの夏から12年。花巻東の同級生で野球を続けている選手は、大谷一人となった。山根さんにとって、「大谷翔平」とはどういう存在なのだろうか。 「僕の中でプロに行く基準でした。大谷翔平を抑えるイメージができたらプロに行けるという思いがありました。そのイメージができればプロでやれる感覚はありましたけど、そこには辿り着かなかったですね。今はもう図抜けた存在になっていますけど、別にサインを欲しいとか、一緒に写真を撮ってほしいとも思わないですし、本当に友人という感じです」 大谷翔平には辿り着かなかった。ただ、大谷翔平と過ごした3年間、そして大谷と同じ舞台を目指した7年間は山根さんにとってかけがえのない宝物だ。これからも、海の向こうで活躍する同級生との友情は、変わることはない。 <初回とあわせてお読みください>
(「甲子園の風」内田勝治 = 文)
【関連記事】
- <初回を読む>大谷翔平、監督の目を盗んで“サク超え連発”伝説…「引っ張れば200本でも打てた」花巻東同級生が明かす「高校通算56本塁打」の真実
- 【写真】「こんな表情するんだ…」坊主頭姿で涙を見せる高校3年の大谷翔平、栗山監督との「運命の出会い」も…高校時代の写真を見る
- 【秘話】「プライド持てよ!」大谷翔平はなぜ“初めての日本代表”で一喝された?「今思えば、あの謙虚さが…」仲間たちが語る18歳大谷翔平の素顔
- 【大谷を倒せ】大谷翔平18歳がいた花巻東は“なぜ負けた?” 岩手のライバル校監督が明かす“仮想大谷の7日間”…選手の声「やってきたことは間違いじゃなかった」
- 【花巻探訪】大谷翔平も菊池雄星も佐々木麟太郎も育った“ナゾの高校野球の町”「JR花巻駅」には何がある?「“消えた”レアな鉄道、閉店した百貨店…」