大谷翔平は「書かずに勉強していた」花巻東の同級生・山根大幸が振り返る高校生活、その後の野球人生「引退を報告すると翔平からは…」
山根さんの3年間での成長
山根さんはその夏、大事な初戦の先発を任され、宮古水産を5回1安打無失点。12-0で5回コールド勝ちに貢献した。地道な努力が実り、高校3年間で最速141キロを投じるまでに成長していく。 「毎年、マンダラチャート(合計81マスで構成された目標設定シート)を書かされるんですけど、僕は引退後は確か『4年後にドラ1でプロに行く』という目標を立てたと思います」
大谷から「肉の焼き方を教わりました(笑)」
大谷は高卒でメジャーに行く夢を封印し、ドラフト1位で指名された日本ハムへの入団を決断。投打の二刀流挑戦に備え、遊撃で受けていたノックも「上手かったですね」と語る。一方、山根さんは3年間をともにした球友から多くの刺激を受け、卒業後は東海大北海道で野球を続ける選択をし、同じ北海道へと旅立った。 何度か食事にも出かけるなど、親交は続き、互いの近況を語り合った。 「野球の話はほとんどしませんでした。技術的なところで言えば、肉の焼き方を教わりました(笑)。『ホルモンは皮から焼くんだ』とか、先輩に教わったであろうことを僕に言っていましたね」
大学では復活、社会人では…
大学では、1年春から公式戦デビューも、同年夏に右肘のトミー・ジョン手術を受けた。そして2年秋に復帰するまでの間、必死に体作りを行い、体格は184センチ、84キロ、球速も147キロまでアップ。3年春に3勝をマークし、札幌六大学リーグ初優勝に貢献すると、全日本選手権では立命館大学を相手に1失点完投勝利を挙げ、一躍注目を浴びた。 4年秋には3勝1敗、防御率0.36で最優秀投手賞を獲得。プロも注目する投手となっていたが、早い段階で熱心に誘ってくれた社会人野球の強豪・日本生命に入社し、最短2年後のドラフト指名を目指した。 しかし、大学では通用していた球も、社会人の打者には簡単に弾き返された。投げれば投げるほど、プロから遠のいていく。力みは再びケガを呼び、3年目の2019年に右肩を手術。そのオフ、チームでは1人だけ寂しく勇退となった。 「3年間苦しい思いしかしていないです。野球も体調面もうまくいきませんでした」
【関連記事】
- <初回を読む>大谷翔平、監督の目を盗んで“サク超え連発”伝説…「引っ張れば200本でも打てた」花巻東同級生が明かす「高校通算56本塁打」の真実
- 【写真】「こんな表情するんだ…」坊主頭姿で涙を見せる高校3年の大谷翔平、栗山監督との「運命の出会い」も…高校時代の写真を見る
- 【秘話】「プライド持てよ!」大谷翔平はなぜ“初めての日本代表”で一喝された?「今思えば、あの謙虚さが…」仲間たちが語る18歳大谷翔平の素顔
- 【大谷を倒せ】大谷翔平18歳がいた花巻東は“なぜ負けた?” 岩手のライバル校監督が明かす“仮想大谷の7日間”…選手の声「やってきたことは間違いじゃなかった」
- 【花巻探訪】大谷翔平も菊池雄星も佐々木麟太郎も育った“ナゾの高校野球の町”「JR花巻駅」には何がある?「“消えた”レアな鉄道、閉店した百貨店…」