ナチス政権下で潜伏ユダヤ人とドイツ市民はなぜ助け合えたのか
「敵と味方」「加害者と被害者」という立場を超えて、人間同士が助け合う姿を描いた『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』(新潮選書)が、第27回司馬遼太郎賞を受賞した。同書著者の岡典子氏(筑波大学教授)と、三牧聖子氏(同志社大学准教授)による記念対談をお届けする。
イスラエル国連大使が着けた「ダビデの星」
三牧 この度は司馬遼太郎賞受賞、おめでとうございます。岡さんが書かれた『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』は80年前のナチス統治下でのユダヤ人たちの生き延びるための闘いとそれを助けた市井のドイツ人の姿が描かれていますが、その中で黄色い「ダビデの星」の話が出てきますね。 最近、このシンボルを再び目にすることがありました。去年の10月、イスラエルのギラド・エルダン国連大使が、国連安保理の公開会合での演説中に、スーツの胸に黄色の「ダビデの星」を自ら着けて登場したのです。昨年10月7日にイスラム組織のハマスがイスラエルを越境攻撃し、1200人超を殺害し、200人を超える人質を取りました。 その後、イスラエルはまずはガザ北部、その後ガザ全域で大々的な軍事作戦を展開し、この対談を行っている今の時点で2万を優に超えるパレスチナ市民が犠牲になり、国連でもイスラエルへの国際的な批判が高まっていました。エルダン大使は、イスラエルの軍事行動の正当性を主張するため、このようなパフォーマンスに及んだのです。 岡 もともと、19世紀末から20世紀前半のドイツは、ヨーロッパのなかでもっともユダヤ人の同化が進んだ国でした。けれども、ヒトラーが政権を掌握すると状況は一変し、「ダビデの星」はユダヤ人を識別し、貶めるための標識として使われるようになっていきます。 たとえば、ナチスが政権を掌握してからわずか2ヶ月後の1933年4月1日に、ドイツ各地で大規模なユダヤ人排斥行動が起こりました。ユダヤ人経営の商店や医師、弁護士がボイコットされたのですが、このときユダヤ人所有のあちこちの建物や住居で「ダビデの星」がペンキで落書きされています。 三牧 「ダビデの星」は、本書のなかでも象徴的に描かれています。たとえば、ユダヤ人迫害のさなかにあった1942年、ひとりのユダヤ人女性が胸に黄色い「ダビデの星」を着けて強制労働先の工場に通う場面があります。ここでの「ダビデの星」は、まさに差別や迫害の象徴です。さらに「ダビデの星」は、本書の終わりのほうにも登場します。 終戦直後のドイツで、生き延びたユダヤ人男性が進駐軍の行進を見物に行くのですが、このとき男性が身に着けていたのも「ダビデの星」でした。ただし、その男性が身に着けていたのは、ナチスに強制された黄色い星ではなく、のちにイスラエル国旗となる白地に青の星であり、彼は自分の意思でそれを身に着けていました。この場面の「ダビデの星」には、生き延びたユダヤ人たちの民族の誇りが表れていると感じました。 岡 歴史を遡ってみると、ドイツに居住していたユダヤ人たちは、第一次世界大戦終結後の1919年には、すでにドイツ人と同等の市民権・公民権を憲法で保障されるようになっていました。それから十数年後にヒトラーが政権を握ったときには、ユダヤ人とドイツ人の間の結婚が進んでいたこともあり、ユダヤ教徒のユダヤ人はわずか50万人でした。 当時、ドイツの総人口は6500万人でしたから、ユダヤ人はそのうちの1%にも満たない少数者です。しかも彼らの多くは、ドイツに忠実な愛国者でした。もし、その後12年にも及んだナチスの時代さえなければ、おそらくユダヤ人はドイツ国民として、この国に溶け込んでいったことでしょう。 三牧 イスラエルという国を理解するうえで重要なのは、イスラエル人は、ホロコーストという集合的な「犠牲者としての記憶」を常に確認し、国家的なアイデンティティーとしてきたことです。もっともこの「犠牲者としてのアイデンティティー」は、必ずしも未来の惨劇を防ぐ方向には作用してきませんでした。 現在のガザ危機でも、すでにイスラエルの軍事行動は、ハマスによって殺されたイスラエル人の10倍、さらには20倍ものパレスチナ市民の命を奪おうとしていますが、イスラエルは自らを加害者として認識してすらいない。ホロコーストという未曾有の虐殺の「犠牲者としてのアイデンティティー」が、自らのパレスチナ人への加害行為を見えなくしてしまうのです。 しかし、本書に登場するユダヤ人は、「犠牲者」にとどまらない多様な顔を持っています。抵抗のために自ら潜伏ユダヤ人になる道を選んだ人。ドイツ人に助けられるだけでなく、終戦間近には、逆にドイツ人を助ける立場になる人。集団としては命を奪おうとする側/奪おうとされる側という絶対的な非対称性があるドイツ人との関係において、それでも互助的な関係を構築したユダヤ人が少なからずいた。 本書は、イスラエルのガザ侵攻やロシアのウクライナ侵攻など、国家や集団レベルの対立や戦争が各地で起きている世界にあって、そうした対立を、人間同士のつながりで乗り越えていくための一つの希望を提示していると感じました。 岡 今日の国際情勢も、非常にセンシティブでむずかしい問題を抱えていますね。私も本書について、ある読者の方から「今のユダヤ人は、ガザで虐殺をしているではないか。それなのに、あなたはそのユダヤ人を犠牲者、被害者として取り上げるのか」と問われたことがあります。 三牧 ガザの惨状を見て、そのような反応をしてしまう人がいるのも理解できなくはないですが、そのような見方は、本書の核心的なメッセージを捉え損ねていますね。 本書には、潜伏ユダヤ人とドイツ人が極限状態の中でともに過ごすうちに、「ユダヤ人」と「ドイツ人」、「被害者」と「加害者」、「救いを求める弱者」と「救援者」といった二項対立が揺らいでいき、人が人として互いを支え合うことができるという事実が描かれているのですから。 「人とのつながり」が必要な現代に読まれるべき「勇気の書」