ナチス政権下で潜伏ユダヤ人とドイツ市民はなぜ助け合えたのか
極限状態での人間が見せる多様な姿
三牧 一方、元弁護士のフランツ・カウフマンのように、総勢で四百人あまりの救援者ネットワークを構築したような例もあります。ナチスの狂気ともいえる監視体制下で、このような精緻な組織を作り上げたことにまず驚かされます。 彼は、自宅を偽造証明書の取引場所に使っていたのですが、最終的にゲシュタポに捕まり、強制収容所で射殺されてしまう。こうした危険を犯しながら、ユダヤ人救出活動に関与し続けた理由として、カウフマンは「彼らを助けたのは彼らがユダヤ人だったからではありません。助けを必要とし、怯えている人間だからなのです」と答えています。 これは本書に出てくる多くの救援者の心情を代弁するような、印象的な言葉であり、希望を抱かせる話です。人間はユダヤ人だという理由だけで、その人の命を奪う残酷さを備えていますが、その一方で、その人がユダヤ人でも誰でも、救いを求める人がいれば助ける慈悲や博愛の心も持っている。 岡 美談だけではなく、ナチスに協力するユダヤ人のスパイもいました。自らが逮捕された後、ゲシュタポの指示のもとでユダヤ人同胞の逮捕に協力する「捕まえ屋(グライファー)」です。1940年代前半のドイツには、ベルリンだけで少なくとも30人くらい「捕まえ屋」がいたと考えられています。彼ら「捕まえ屋」は他の潜伏ユダヤ人ユダヤ人をゲシュタポに売ることで、自分や家族の身を守ろうとしました。 極限状態では、すさまじい足の引っ張り合いも含めて、人間の本当の姿が現れてくる。これは80年前のドイツに限らず、いつの時代にも、あるいは地球上のどの場所でも、人間の営みとして現に存在してきたのだろうし、今もあることなのだと思います。 三牧 本書は「捕まえ屋」を単なる「悪人」として描くことなく、ニュアンスある描き方をしています。実際、目撃した同胞をわざと見逃したり、自分の立場だからこそ得られるゲシュタポの捜査情報をユダヤ人に伝えてやることもあったとのことですね。 また、救援者となったドイツ人も、必ずしも「聖人」としてのみ描かない。ユダヤ人を助けたら自分が危なくなるのに、人を助けたいという素朴な思いやキリスト的信条から救いの手を差しのべた人もいれば、金銭的な見返りを目当てにユダヤ人を助けた人もいた。 岡 救う側も、救われる側も、その姿はほんとうに多様です。 三牧 すべてを奪われ、逃げる身となっても、かつて裕福だったときのことを忘れられないユダヤ人もいましたね。偽造した身分証明書の職業が「ホテル客室係」と書かれていることが気に入らず、苦情を訴えにきたユダヤ人の年配女性が印象的でした。 岡 当時のドイツは階級社会でしたからね。ユダヤ人のなかには、経済的な成功を収め、ナチスが台頭するまでは裕福な生活を送っていた人たちも多かった。今、三牧さんが仰ったユダヤ人年配女性も、社会的地位の高い夫をもち、裕福に暮らしてきた人物でした。 かつての身分に対するプライドを捨てられなかった彼女にとっては、身分証明書を提供してくれた貧しいドイツ女性への感謝よりも、自分が卑しい身分の者とみなされる屈辱のほうが深刻な問題だったのです。 このエピソードには、人間のもつある種のリアルな心理が表れていると思います。この夫人に限らず、生き延びたユダヤ人たちのエピソードを丁寧に追っていくと、彼らは必ずしも助けてくれた人全員に感謝しているわけではないことがわかります。なかには、感謝どころか、助けてくれた相手を嫌悪するケースさえあります。 その理由はさまざまですが、相手のちょっとした態度や発言が不愉快だったり、自分の望み通りの行動をとってくれなかったりすると、感謝よりも不快感が先に立つ。これもまた、人間の自然な姿だと思います。 三牧 目の前に、自分が助けなければ死んでしまう人がいる、そうした心情以上の裏付けがない関係性にあって発揮される善意、そうした見ず知らずの相手の善意を信じて相手の庇護下に飛び込む勇気など、どの話にも心を動かされますが、終戦後、生き残ったユダヤ人がどうしたのかという「アフター・ストーリー」も興味深く拝読しました。 岡 散々な目にあったドイツにはもう住めないと、戦後はアメリカやイギリスなどに移住した人もいれば、ドイツにそのままとどまった人、新国家建設のためイスラエルへ向かった人もいました。その後の軌跡も様々です。 三牧 陰鬱な体制下にあっても、個々のドイツ人の心までもが体制に支配されてしまったわけではなく、良心を発揮したケースもあったという事実には、人間も捨てたものではないな、再び希望を賭けてみよう、という気持ちにさせられます。こうした歴史的な事実を発掘したのは、ドイツ人なのでしょうか。 岡 いいえ、ユダヤ人です。終戦後早い時期から、生き延びたユダヤ人たち……中心となったのは、ナチス政権成立後、比較的早い時期に国外に逃れた人々でしたが、彼らが地道に同胞たちの情報を収集し、ドイツ人救援者の存在を記録し続けたのです。本書にも書いた通り、ユダヤ人救援は戦後も長い間、ドイツ国内では口外しにくい、センシティブな問題であり続けてきました。何十年もの時を経て、ようやく研究として日の目を見るようになってきたのです。 ドイツ国内外に広く「沈黙の勇者」の存在を伝えた最大の功労者は、本書にも登場するインゲ・ドイチュクロンというユダヤ人女性です。青春期をナチスの迫害のもとで過ごした彼女は、戦後ジャーナリストとなり、2022年に99歳で亡くなるまで「沈黙の勇者」たちの存在をドイツ国内外に発信し続けました。 彼女の戦後の生き方を決定づけたのは、狂気の時代にあっても人間性を失わず、自分たちを救ってくれた幾多のドイツ市民がいたという事実でした。命を救われた者として、自分には、生涯をかけて彼らの功績を伝えていく義務がある。彼女はそう考えたのです。立場を超えて、人間が人間を支え合う姿を追い続けた彼女の仕事は、私が本書を書く上でも大きな道標となりました。 (後編「ガザで繰り返される悲劇をいかに受け止めるか」につづく) ※この対談は、岡典子『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』(新潮選書)の司馬遼太郎賞受賞を記念して行われたものです。
岡典子,三牧聖子