落語との出会いは修学旅行の飛行機の中… 四万十町出身 三遊亭萬都さん「二ツ目」昇進への思い【高知】
その後、大学入学で上京し、卒業後は東京で“ホテルマン”として働いていましたが、落語への熱は冷めませんでした。 (三遊亭萬都さん) 「就職して、東京の池袋の近くに住んでいたんですけど、私の師匠(三遊亭萬窓)のさらに上の師匠、六代目・三遊亭圓窓が、社会人の落語教室をやっていて、最初は『圓窓と落語を一緒に聞く場』だと思って行ったんですけど、行ったら『いや、やるよ』って言われて…」 しばらくは働きながら“趣味”で落語をやっていましたが、27歳の時、大きな決断をします。 (三遊亭萬都さん) 「ずっと悩んではいたんですけど、なかなか(落語の世界に)飛び込む踏ん切りもつかず…。落語協会が『30歳までしか入門できない』ルールがありまして、27歳で、『これは…!』という焦りみたいなものもあって、それで師匠に(入門の)相談に行ったのが始まりですね」 こうして落語界に飛び込んだ萬都さんですが、通常より長い「前座」期間を過ごしました。(七代目・三遊亭萬窓に入門) 「前座」は、1年間ほぼ休み無しで師匠の家や楽屋での雑用をこなしながら、寄席で落語を喋って鍛える“修業期間”です。 (三遊亭萬都さん) 「『前座』生活はですね“自由が全く無い”ので…。朝、師匠の家に行って掃除して、それから寄席に行って、寄席でずっと働いて、終わってまた別の落語会に行って…」 「寄席は『前座が一定数以上いないと回らない』ので、『後輩が入ってこないと昇進できない』というのがありまして…。私、入って1年ぐらいで新型コロナが流行って、入門者が減ったので、ちょっと長かったですね、前座が。だいたい4年ぐらいなんですけど、私は6年やりました」 ちなみに、こんな苦労もあるようです。 (三遊亭萬都さん) 「やっぱり、こればっかりは…、(落語は)『江戸弁』ですので、染み付いた土佐弁がたまに出ますね。『二ツ目』以上になって、『(土佐弁を)意識的に出すのはOK』で、意外と自由なんですけど、私は江戸の『古典落語』をやっていますので、師匠に厳しく直されています…」
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