ラストシーンが示す宿命とは? 『ゴットファーザー』を彷彿とさせる結末を解説。映画『クレイヴン・ザ・ハンター』考察レビュー
兄と父への劣等感の行方
本作の主要な登場人物は、ヒーローもヴィランも、家父長的なニコライの存在とそのマッチョな男性性に囚われ劣等感を抱えており、そうした欠如の感覚を埋めるような行動をする。セルゲイは、母の死に無関心な父に反発し、母の手紙を読み、その痕跡を探すかのように母が所有していた土地で暮らす。また、言わば自分に血を分け与えた存在であるライオンを父が殺し、その剥製を飾って所有していることを知った途端、彼は激怒し、父と対立することになる。 弟のディミトリは、弱い自分に悩み、父だけでなくたくましい兄にも劣等感を持っている。また、その葛藤を父ではなく兄にぶつけることになる。彼が父を含めさまざまな人物をモノマネし、他人と同一化しようとするのは、自分の弱さを補う行為だというのは言い過ぎだろうか。 さらに、本作のヴィランであるアレクセイも、ニコライにより自尊心を傷つけられた人物だ。狩りの場でアレクセイはニコライに話しかけるものの、「お前は何者でもない」と一蹴され、プライドを傷つけられる。それ以来ニコライに復讐しようとし、体を強化するために手術を受ける。彼は、体に投入する薬が途絶えた途端にサイの怪人、ライノに変身する体になってしまった。アレクセイもまた弱い自分を変えようとし、自尊心を取り戻すために副作用を伴う力を得たのだ。 このようにニコライは、本作の主要な登場人物にトラウマを与えている。では、ニコライの家父長的な権力、権威に対して葛藤し反発した先に、何が待っているのだろうか。
逃れられない父の影
詳細は省くが、セルゲイは、とある形で父殺しを成し遂げると共に、弟と対立する。その後、実家に向かい、今度は父の手紙を読む。父親が毛皮付きのジャケットを遺したことをセルゲイは知り、それを着用する。カメラは、ライオンの剥製がなくなっていることを映し出す。そして椅子に座ったセルゲイは、鏡に映る自分を見つめてこの映画は幕を閉じる。 椅子に座る姿は、『ゴッドファーザー』(1972~)シリーズなども思い起こさせるが、セルゲイが鏡の中に囚われているようにも見える。このラスト・シーンは何を意味するだろうか。父の権威性が今後も影響を与え続けること。 暴力を用いて敵を打倒してきたセルゲイが、結局は父と変わらない存在であること。父が象徴していた有害な男らしさに反発しても、そうしたものから逃れられないことなど、さまざまな解釈が可能だろう。クレイヴン・ザ・ハンターが誕生した瞬間、観客は男らしさと自己をめぐる問いを突きつけられるのだ。 【著者プロフィール:島晃一】 映画・音楽ライター、DJ。福島県出身。『キネマ旬報』、『ミュージック・マガジン』、『NiEW』などに寄稿。『菊地成孔の映画関税撤廃』(blueprint)で映画『ムーンライト』のインタビューを担当。J-WAVE「SONAR MUSIC」の映画音楽特集、ラテン音楽特集に出演。TBSラジオ「アフター6ジャンクション」や『散歩の達人』では、ペデストリアンデッキ特集といった街歩きの企画にも出演、協力。渋谷TheRoomでクラブイベント「Soul Matters」を主宰している。
島晃一