「早大1浪2留中退」名家の母を嘆かせた彼の後悔 早稲田行きたい一心で浪人を決意、彼のその後
「高校2年生まで模試をまったく受けていないので、偏差値は不明でしたし、指定校推薦をもらおうともしたのですが、評定平均4以上ないとダメだったので、3.2だった自分は論外でした。 ここで下手に勉強をして、早稲田以外の大学に受かったら、そこに入れさせられると思いました。そこで、6月から3カ月間は忙しくなる、高校の大事な行事であった体育祭のリーダーに立候補して、浪人できる口実を作りました。結局、体育祭が終わったあとの9月には見事に燃え尽き症候群になってしまったので、もうこの時点で親に浪人する宣言をしました」
■早稲田しかないと思い込んでいた 受験までに「やるべきことはやった」そうですが、本気で受かることは難しいと半ば諦めていたそうです。 こうして現役での受験は、早稲田大学の政治経済学部と法学部のみを受けたものの、「ほぼ記念受験」と語るようにあっさり不合格に終わってしまい、全落ちで浪人が確定しました。 西さんが浪人を決断した理由はやはり、「早稲田しかないと思い込んでいたから」でした。 こうして彼は代々木ゼミナールの福岡校に通うことを決めます。この決断は、彼の人生にとっても初めて、「自分で人生の進路を決めた」感じがあったそうです。
「教育熱心な母親の言うことを素直に信じていました。それに加えて、3学年上の姉が同じ小中高で、3年先を進んでいたので、その背中を自然と追いかけて、高校まで進んだ感じがあったのです。 でも、浪人して、初めて母親が望んでない姿になってしまいました。とはいえ、自分で人生の進路を決められたことが、当時の自分はちょっと嬉しくて。 親に負担をかけるのが悪いと思っていたので、授業料を割引してもらえるシステムがあった代ゼミを選んで入ったのはよかったのですが、結局楽しいほうに流れる性格なので、『自分で決めた選択だから、いろいろやらなきゃ!』と思い、免許を取りに行ったり、授業料を稼ぐために、ポプラというコンビニで昼から夜までアルバイトをしていました。今思えば、もうこの時点でだいぶ勉強する気がないですよね……(笑)」