歴史的事件!甲子園で審判の判定が覆ったのは高校野球変革へのサインなのか?
過去の甲子園では誤審が撤回されることはなかった。“世紀の大誤審”と呼ばれた事例も少なくない。 1982年夏の益田対帯広農では、9回の益田の攻撃が「4アウト」まで行われるという前代未聞の事件があった。すでにチェンジのはずが、球審どころか審判の誰もが指摘しないため、次打者が打席に入り、公式記録員の指摘に球審が気づかずに、打者は三塁ゴロを打って「4アウト」となったのである。試合後、高野連は会見を開いて謝罪。記録は訂正された。このときの益田のメンバーの一人に話を聞いたことがあるが、「どうなってんだろう?と思っていたけど、暑いのでぼっーとしていて、こっちが間違ってんのかな?とか考えていたらバッターが打ったって感じでした。僕らからすれば審判に腹が立つというより、なかなかできない経験をしたなあという気持ちでしたが、監督さんも甲子園では抗議はできないんです。正々堂々と戦うという精神ですからね」という話をしていた。 1984年のセンバツの佐賀商対高島ではラッキーゾーンにワンバウンドで入った二塁打が満塁本塁打と判定され、試合後に高野連が会見して誤審を認め、審判が打球を見にくいという理由で、翌日から歴代優勝校のボードが外されるという事態になった。また、その10年後のセンバツの小倉東対桑名西では、四球を球審が見逃して試合が続行された。 いずれも「審判は絶対」の精神から、審判の判定は聖域であり、抗議は行われなかった。高校野球では、監督に抗議権はないが、主将や伝令を通じて「疑義」を伝えることはできる。だが、甲子園の審判はプロではなく、全国の都道府県から推薦で派遣されてきたボランティア。現場に審判へのリスペクトの意志が強すぎることと、「審判に逆らう」イコール「高野連に逆らう」という図式が見え隠れして、どのチームも審判や高野連を敵に回したくないから抗議は行わないという暗黙のルールができあがってきたという歴史がある。 今回のケースでも明石商の監督は抗議していない。 その「たとえ誤審であっても判定は覆さない」という甲子園の聖域だった判定を冷静に覆したことの意義は大きいのだ。