「パラと健常に壁はない」パリパラリンピック卓球最年少代表・舟山真弘選手 初の大舞台へ
パラリンピックの源流は1948年の座位アーチェリー大会
1948年、イギリス・ロンドンにあった脊髄損傷した軍人の治療施設だったストーク・マンデビル病院で、ルードヴィヒ・ビッグマン博士がリハビリテーションの一環として始めた座位のアーチェリー大会がパラリンピックの源流となった。 ストーク・マンデビル大会と名づけられ、大会は2年に1回開催された。 1962年、日本は吉田勝也と伊藤工の2選手を初めて派遣。 吉田は、水泳と卓球の2種目に出場し銅メダルを獲得した。 障がい者スポーツの世界大会で日本初めてのメダリストとなった。 そして1964年東京パラリンピックでは、日本初の金メダリストが誕生した。 記念すべき第1号は卓球競技からだった。 男子ダブルスで猪狩靖典・渡部藤男のペアが世界一となったのだ。 右腕を手術し、うつむきかけた少年の人生を180度変えた卓球とは。 舟山真弘選手: 卓球の魅力は、ボールの回転とスピード、ラケットとラバーとフォーム、すべてがそろって良いボールが出たときの気持ちよさです。これはすごい。イメージした通り打てたときの手への振動、あの感覚はすごいですね。 2021年東京パラリンピック日本選手団の旗手は卓球選手だった。 舟山が目標にしてきた早大卓球部の先輩でもある岩渕幸洋が務めた。 パリパラリンピック開催の時、舟山は20歳、早大卓球部は100周年を迎える。 舟山真弘選手: パラと健常に壁はない、卓球という競技には全部が包含されている。 目を輝かせて“卓球愛”を真っすぐに語る舟山真弘。 パラリンピックの次世代の旗手へ、そのまなざしは無限の可能性にあふれている。
佐藤 修