「日本人は議論が苦手」「民主主義が不得手」というのは一面的な見方である
信仰を方便にして寄り合い、語り合う
畑中 実は若林さんと「講」を始めようという話を以前からしているんです。 若林 「はい」とは言ってませんが (笑) 畑中 武蔵御嶽神社は今お参りしても、講が寄進した立派な参拝記念碑が新たに奉納されていっています。つまり「御嶽講」は今でも各地でさかんに行われているんですね。 宇野 何かしらアイコンがあって、そのアイコンを推している人たちがみんなで集まり、一緒に旅行したり、お互いに助け合ったりする。これがもし、何らかの形で現代社会に生き残れたらおもしろいと思うんですが、田園都市線沿線では「講」をとおした新・旧住民の混じり合いにはなっていないようです。 若林 でも僕はアイコンでつながり、「講」で結ばれるような感覚が、“推し活”みたいなものと、つながりあっているんじゃないかと感じるんです。縦の人間関係だけだと、やっぱりしんどいわけじゃないですか。そういう意味で、横の関係をつねに求めていくということが、日本人の伝統的な習慣のなかにあり、“推し活”に多くの人が流れていくのも、もしかしらそういう習慣が生きているのかなと思ったりします。 宇野 多摩地区を舞台やモチーフアニメが多いじゃないですか。ジブリもそうだし。そこから飯能、秩父のあたりに行くと、どこもみんなアニメの聖地がある。今、アニメファンがやってきて、みんなで聖地巡りを喜んでますけど、あれも現代の講ですよね。 畑中 日本の伝統社会、民俗社会にはいろいろなタイプの講があったんです。たとえば「二十三夜講」という講があって、月が23夜の日に集まり、勢至菩薩を祀って夜通し話をする。『忘れられた日本人』の観音講は年配の女性が講員でしたが、こちらは働き盛りの女性で、いい蚕を育てるためにどうすればいいかが集まる目的のひとつだったんです。 どういうことかと言うと、水田で作る米の収穫は一年に一度だけだけど、蚕の繭は年に3回から4回できるので、そのたびに現金収入が得られる。よい繭を作るには、どういう桑を植え、どんなふうに蚕を育てればいいのか、担い手の女性たちの情報交換の場として「講」は機能していたんです。しかも養蚕で稼いだお金は女性たちに権利がある。 信仰を方便にした講に象徴されるように、近世の民俗社会では、意外とみんなが寄り合って、生産技術について話したり、議論したりしていた。 宇野 田園都市線沿線を歩いていると、庚申塔が建っていて、あちこちで庚申の日に集まって夜通し盛り上がっていたことがわかります。日本人はディスカッションしたがらない、議論が下手だと言われるけど、こうした寄り合いの場では、理屈で人を倒すのではなく、たとえ話を駆使しながらみんなが話すようにしていたようです。