「日本人は議論が苦手」「民主主義が不得手」というのは一面的な見方である
宇野重規・畑中章宏・若林恵の3氏による『『忘れられた日本人』をひらく』発売記念トーク(2月20日、ジュンク堂書店池袋本店)。話題は日本の伝統社会にあった「講」から現代の“ファンダム”や民主主義における“議論”の問題に展開していく。 【写真】女性の「エロ話」は何を意味しているか? 日本人が知らない真実
「講」というファンダム
畑中 『忘れられた日本人』の「寄りあい」のところで、女性が集まって愚痴を言い合う「観音講」という講が登場します。講というのはまさに複数の世間。伊勢神宮とか金毘羅大権現とか、ある特定の神仏霊場を信仰する仲間同士で自主的に作られる。 日本近世の社会は、寺院が戸籍をすべて管理し、宗教による抑圧が強かったというイメージを抱かれがちですが、好きな神仏を信仰したり、それを方便に集まったり、盛んに寄り合いをしていました。講はしかも、作るのは自由だし、村の中にもいくつもあってもいいし、1人で複数入っていてもいい。 若林 勝手に作ってもいいんですね。「俺それのファンだから講を始めます」って始めてもいい(笑) 畑中 ですから、乃木坂のファンで、同時に櫻坂のファンでもいい(笑)。しかも講は、アイドルがいる聖地に行くためにお金を集める。でも全員が一緒に行けるわけじゃなくて、「代参」という、順番に聖地に行けるシステムが確立していました。たとえばくじ引きで、一巡するまで続くんですが、お金に困っている人がいたら、積立金を貸したりする、民間金融的な機能も持っていたんです。 宇野 そういう例として、小倉美惠子さんの『オオカミの護符』(新潮文庫)という本をぜひ紹介させてください。 東急田園都市線の住宅が並んでいるところに、まだ実は講がある。もともとあのあたりはほとんどが農家で、僕も歩いてみたんだけど、いまだに講が残っていて、住宅地にオオカミを描いた護符があちこちに貼ってあって、驚かされるんです。小倉さんはその護符が何なのかを出発点に各地をたどりだして、同じテーマで映画も撮っているんです。 畑中 オオカミ信仰は、関東では青梅の武蔵御岳神社と秩父の三峯神社がとくにさかんで、二ホンオオカミは害獣より強い獣だということで信心されるようになったんですね。それから、害獣除けが五穀豊穣につながり、都市部では商売繁盛の信仰に発展していきます。 宇野 神様の絵を置いてみんなで集まり、少しずつお金を出しあって、お参りする。さっき畑中さんがおっしゃったように、一種のマイクロファイナンスで、積み立てたお金を使って困っている人に融通する、互助組織としても機能しているんです。