「息子を救いたかった」生きる意味を見失った母親 息子からの“決意と感謝”の手紙に支えられ…生きた証と命の大切さを訴え続け
手紙の最後に記された「翼のはえた“うし”」はもちろん貴光さんのこと。”うし”というのは、母と息子の間でのみ使われていた貴光さんの愛称でした。 「こう思い込んだら突っ走る。もう絶対曲げないのだからやっぱりタカ(貴光さん)は丑年生まれだね」 ”ウシ”は、こんな親子の何気ない会話から生まれたものでした。 りつこさん 「最後に『あなたを母にしてくれた神様に感謝の意をこめて』と結んでありますが、ここまで言ってもらったら母親として凛と生きていかなければと思わせてくれる」 現在、りつこさんは懸命に生きた息子の姿や生きることの大切さについて、小学校や中学校などで語り続けています。 りつこさん 「みんな命をそれぞれ授かったわけだからその命を目一杯使ってほしいという気持ちがある」 貴光の懸命に生きた姿を通して命の尊さを伝えることは、りつこさんの生き甲斐にもなっています。 一寸先には何が起こるかわからないー。 それを時々思い出して今を大切に生きてほしいと話します。 りつこさん 「これから先は1日1日をしっかり楽しみながら悔いのないように生きないといけないと感じている」 今、息子はどんなふうに生きていただろうかー。考えない日はありません。 りつこさん 「2週間後に亡くなると分かっていたら、正月の日、兵庫県に帰すんじゃなかったと。もう一度親子の縁をいただけるのならば、また貴光と親子になりたいなって。もう一度子育てのところからやり直したい…そんな思いです」 今でも覚えています。買い物に出かけて、一緒に肩を並べて歩いていた日のこと。 「1人息子だしお母さんと一緒に買い物していたら、親離れできていないと笑われのではないの?」 ー『なんで?僕はもちろんお母さんをお母さんと思っているけれど、”人生の1人の先輩”と思っているから恥ずかしいことは何もないよ。言わせたい者には言わせてけばいい』 「ああ、タカ(貴光は)親を超えたね」 ー『お母さん、親を超えることなんてできないよ』 「どうして?」 ー『だって、お母さんと僕は20年以上も年の差があるんだよ。人間は、1年でものすごくいろんなことを学んで成長するんだよ。だから20年以上の差は超えられないよ』
そう笑って話したという貴光さん。 少し恥ずかしいと感じながらも、りつこさんは息子の成長がとても嬉しかったこと、貴光さんとの何気ない会話のすべてが、大切な時間でした。 貴光さんに思いをはせながら、りつこさんは震災から29年を迎えます。
中国放送
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