「息子を救いたかった」生きる意味を見失った母親 息子からの“決意と感謝”の手紙に支えられ…生きた証と命の大切さを訴え続け
地震のせいで、心も何もかも壊れてしまったー。 貴光さんを失って、りつこさんはもう生きる意味がないと感じていまいした。 りつこさん 「悲しかったですね…。想像もしてなかったですから。まだまだあの子はこれから夢を追って生きていくという私は後ろから見守って」 震災から29年になろうとしていた1月、りつこさんは貴光さんが通った広島市安佐南区の安古市高校にやってきました。 りつこさん 「体育館ですよね。向こうに剣道部の道場があったんかな」 高い目標を立てて、それを実現するために何をすべきか考える子だったという貴光さん。世界情勢に興味を持ち将来必ず留学したいと語っていました。そのために、まず日本文化を学ぼうと剣道にも励みました。 りつこさん 「あまりにも思い出が多すぎて、来ると涙が出てしまうのであまり来なかったのですが、安古市高校で彼の青春が始まったというか熱い思いがたぎったのだと」 大学進学後も将来は国際平和に関する仕事がしたいと勉強熱心で、国際交流サークルの仲間たちにも慕われていたといいます。大学2年生のときには、国際交流サークルの活動で韓国に渡り現地の学生と交流しました。 “交流先の国で親友をつくること”それは、貴光さんの夢であり目標でした。「親友を作れば彼らが社会に出て国を担うころになったときに親友のいる国を悪く言わないだろう」。りつこさんの前で、そう語っていました。 りつこさん 「『将来政治的にうまくいかないことがあったとして、解決の糸口はそこに親友がいることだ。できる限り各国の学生と出会って信頼関係を結びたい』って。それが貴光の夢だったんですね。その1歩が韓国だった。だけど韓国だけで終わってしまいました」 りつこさんは、韓国から帰国してすぐに貴光さんが話してくれたことを、今でも忘れられません。 りつこさん 「貴光を広島駅に迎えに行くと『会話するって大事だよね。分かり合える、絶対分かり合える』。そう言って涙をボロボロ流したんですよ。そして日本に帰国するときにみんなが寂しがってくれたって。韓国でできた友達が『タカ(貴光)のいる日本だから、もっと僕たちも日本のことを勉強するよ』と言ってくれたそう。それがすごく嬉しかったみたいで」
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