後一条天皇の即位で<国母><皇太子の母>となる彰子。それでも実際は「道長の権威の一部分」に過ぎず…その理由とは
◆彰子の影響力 しかも、この時点で彰子は国母であるとともに、皇太子の母となり、道長の子女の中でも飛び抜けた存在となった。 何しろ皇太后彰子は、天皇が幼いので2月7日の即位式では高御座に天皇を抱いて登壇して、道長以下の貴族・官人たちから拝賀されるのである。 とはいえ、道長のやり方にかなり批判的だったとしても、その反論が無視されていることからもわかるように、この時点ではあくまで、道長の権威の一部分、いわばロボットに過ぎなかった。 だがこの後、彰子は後朱雀の子の後冷泉、その弟の後三条天皇の時代に至るまで、宮廷で影響力を行使しつづける。 彰子は87歳という長命であった。 ※本稿は、『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(中公新書)の一部を再編集したものです。
榎村寛之
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