AIで再現された心は、母の"本心"といえるのか。映画『本心』監督・脚本の石井裕也さんインタビュー。
『本心』の監督・脚本を手がけた石井裕也さんは、主演の池松壮亮さんに映画化を勧められて原作小説を読み、「自分の物語」と感じたそう。 「これから到来する、というかもはや始まっているAI社会というものが、率直に言ってすごく怖いんです。だけどそれを口に出すこと自体がはばかられる世の中になっていると思うんですよね。小説には、まさにそういった不安が描かれていました」 主人公の朔也は唯一の家族である母(田中裕子)を亡くし、生前、母が〝自由死〟を選択していたことを聞かされ、二重の失意に陥る。 そんななか、仮想空間上に〝人間〟を創造できるVF(ヴァーチャル・フィギュア)という技術を知り、母の制作を依頼。その過程で母の親友だった三好(三吉彩花)と出会い、息子からは見えなかった母の一面を知っていく。
映画化に際し石井さんが注目したのは、原作者の平野啓一郎さんが提唱する〝分人主義〟という概念だ。 「仕事の時の自分、ひとりでいる時の自分、家族の前の自分など、さまざまな分人の集合が〝個人〟であるという考え方なのですが、映画表現においてはさらに〝芝居〟という一面がある。これを生かせば『本心』の映像世界を豊かに作れるのではないかと、平野さんにお話ししました」 朔也と母の関係を中心に、登場人物それぞれが相手の本心を推し量っていくのだが、石井さんは「出演者全員が、芝居とは本心を見せることなのか、あるいは単なる嘘なのかを試されていた」と振り返る。 「ここで出てくるAI技術は決して遠いことではなく、本質的には多分もう到達している価値観といえます。そういう事象を扱っているからこそより人間的な、魂の揺れ動きを撮れると期待していたし、特に池松くんは通常の役では求められないような身体性を問われていたと思います。VFと生身の人間の両方を演じた田中さんが、『AIとかVFが何なのかはよくわからないけど、ひとつかふたつは人間よりも人間らしく演じてみたい』とおっしゃっていたのが印象的で。それこそまさに、本質を捉えることなのだと思いました」 石井さんが本作を自分の物語だと感じたのは、7歳のときに亡くなった母親への思いもあったようだ。 「大切な母と再会したい気持ちは痛いほどわかります。だけど仮想空間上に母を作り出して、本心を探り出そうとする行為は、人として大切な約束を破っている気がどうしてもしてしまうんですよね。この拒否反応は今後絶対に減っていくし、朔也もいろんな葛藤の中で母のVFを作っていくのですが、僕も同じように葛藤しながらこの映画を作りました」