相次ぐ長島議員離党と細野議員辞任 野党共闘で民進党はどう変わるのか
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民進党では、10日に元防衛副大臣の長島昭久衆院議員が離党し、13日には元環境相を務めた細野豪志衆院議員が代表代行を辞めるなど、共産党との野党共闘、憲法改正などに対する党執行部の方針への不満が露呈する動きが相次ぎました。 党主要メンバーの“反乱”ともみられる行動が、野党共闘の流れや今後の党運営に影響を与えることはあるのか。上智大国際教養学部の中野晃一教授(政治学)に、民進党に起きていることと、今後をどうみるか、話を聞きました。
民進党の野党共闘の流れで居場所を失ったのでは
なぜ長島議員は離党したのか。中野教授は「もともと民進党は、さまざまな政治潮流の政治家が合流し、共通点を見出しながら政党を作ってきた中で、長島議員のように安保問題に関し、保守系の中でもどちらかといえば“タカ派”、アメリカの対日政策関係者に近い立ち位置でいるような人もいた、ということ。民進党の野党共闘路線に対し、距離感を感じていたことは間違いない」と、言います。 そもそも、民進党の前進である民主党は、政治的な潮流は違っても、「自民党に対し、政権交代を求めていくという点と、政官業の癒着に関し、これはおかしいという人たちで集まってきた」のであり、新党さきがけから出てきたリベラルな政治家や旧社会党のやや右派議員、2003年に民主党と自由党合併という形でさらに勢力を大きくしてきた、というわけです。 しかし、「3年3カ月続いた民主党政権交代の後、単独で政権を担っていく道筋がみえない状態が続いた。現実的な政治戦略として、次に大きい野党である日本共産党、社民党、自由党と力を合わせて選挙に勝ち抜いていかなくてはいけない、と民進党がかなりまとまってきている中、いまさらその流れを変えようというのは難しい。長島議員も気がついたら自分の居場所を失ったということでは」と、長島議員の離党判断理由をこのようにみます。
共産党との共闘 勝てる体制で必要
では、共産党も加わる、今の野党共闘をどのように考えるのでしょう。中野教授は1980年代に入り、野党に中道路線が出てきてからは、「自民党を政権からおろすのがポイント」であっても、連立はあくまで「非自民・非共産」であり、「共産党だけは一回も政権を担ったことがない。いい言い方をすれば純粋な野党、悪い言い方をすれば政権を担ったことがないので未知数に終わっている野党だった」と、かつての野党共闘のあり方を振り返ります。 しかし、衆参議院ともに自民党が単独過半数を占めているような現状の中、「自民党が完全にノーチェックの状態になってしまい、一強他弱、人によっては独裁の領域ではないか、と」いう声もあり、「国会を軽視し、安全保障法制を通す中、このままでは立憲主義や民主主義の原則が壊れてしまう」、「共産党を排除するという時代ではない」と野党連携に変化が起こったとみます。中野教授は「民進党の中でも共産党と共闘し、勝てる体制にしないと、有権者に選択肢がない状態になる、と市民運動の後押しを受けて形が整ってきた」とこの動きを評価します。