名店に学んだ25年前 ダイイチの「おはぎ」が甘すぎない理由
甘さ控えめ粒あんレシピ誕生の背景
ダイイチが従業員を何人も送り込んだ「さいち」は、おはぎの日販が最高2万5000個を超えたことがあるなど、惣菜弁当業界で全国に名を知られ、「80坪(店の面積)の奇跡」などとして本も出版されている個人スーパーだ。 同社などによると、当時の佐藤社長と妻の澄子専務(故人)は学びに来る人を拒まず、同店の厨房で研修を受けたスーパーは500社を超えたという。 ダイイチ組は2泊3日、早朝から夕方まで実際の製造作業に参加した。猫山さんは「特に澄子さんは付きっきりで教えてくれた。おはぎだけでなく、煮物や揚げ物などほぼ全品が手作り、盛り付けも丁寧でとても驚いた」と振り返る。 刺激を受け、戻ったメンバー。おはぎだけでなく、炊き込みご飯、煮物などもメニューに取り入れたという。「おはぎは販売当初、反応は鈍かったが、商品アピールのPOPやパネルを設置し、販促を強化した結果、徐々に認知されていった」と、猫山さんは記憶をたどり話してくれた。 佐市は大正期の創業。おはぎは1979年にスーパーに業態転換して間もなく、販売を始めた。同社によると、現在も、週末中心に開店前に20~100人の行列ができる。看板のおはぎ(1個あたり175円、2個入りから)は、全惣菜の約35%の売り上げを誇る。 佐藤夫妻の長男で現社長の浩一郎さん(50)によると、澄子さんは生前、「甘すぎない方がおいしいし、たくさん食べてもらえる。そしたらたくさん売れて、売り上げ(増)にもつながる」と話していた。ただ、当初は砂糖をけちっているのではと勘違いされ、しばらくの間、購入者が無料で持って行けるよう店内に砂糖の小袋を置いていたという。 浩一郎さんは「ダイイチさんがうちからおはぎを学び、販売している話は両親から聞いていた。実は私自身、実際に買って食べたこともあり、おいしかった。味を大事に守り、それが北海道で人気と聞き、両親も喜んでいるはず」と話していた。(文・佐藤いづみ、写真と動画・村瀬恵理子)