「魚は頭から腐る」を地で行く韓国の医師大規模スト、エリート劣化は日本も同じ
政権による「人気取り」の側面もあるが……
では、韓国の国民は、この事態をどのように見ているのだろうか。知人の韓国メディアの記者に聞くと、「どっちもどっちです」という。 今回の医学部定員増が、尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権の政治的パフォーマンスであることは明らかだ。韓国では、4月10日に総選挙(一院制の国会議院選挙)が行われ、与党の「国民の力」は現有議席を割り、最大野党「共に民主党」が過半数を上回る議席を獲得した。 尹政権の人気取りのため、「医師がスケープゴートにされた」(知人)というのが真相らしく、「来年度から4割の定員増と無茶苦茶な要求を突きつけて、あえて反発させようとした可能性すらある」という。 我が国で、医学部定員増が閣議決定されたのは2009年だ。この年、自民党の支持率は低迷し、総選挙で民主党に政権が交代する。当時、医療崩壊が国民的関心事項で、日本医師会の反発があったとしても、支持率アップのため、当時の麻生太郎政権には魅力的な政策に映ったのだろう。 医師は社会的なエリートだ。多少、冷遇しても、国民から反発されることはない。特に韓国では、この傾向が顕著だ。2021年のOECDの統計によれば、韓国の医師の平均年収は19万2000ドル(購買力平価ベース)で、ドイツやオランダを抑えてトップだ。これこそが、研修医や大学教授が集団で反発しても、尹政権が医学部定員増を強行した理由だろう。 最終的に、この問題は4月19日に、韓国政府が、国立大学総長らの建議を受け入れるという形で決着した。増員分を割り当てられた国立大学が、大学別増員分の50~100%の範囲内で自律的に2025年度の新入生を募集するというものだ。政府は、「医学部定員2000人増員」方針を事実上撤回した。今後、どの程度増員されるかは、世論次第だ。総選挙が終わり、ほとぼりが冷めれば、お茶を濁すだけではなかろうか。
患者視点と国際感覚の欠如は日本も同じ
なぜ、韓国は迷走するのか。それは、一連の議論に患者視点と国際的な感覚がないからだ。患者の命を盾に、医学部定員増に反対するなど、医師としてあってはならないし、他国と比較した場合、韓国の医師不足は明らかだ。 実は、この状況は、日本も全く同じだ。いや、医学部定員に関する対応では、日本の方が酷いだろう。 問題は、なぜ、日韓の医師が患者視点と国際感覚なしで、これまでやってこられたかだ。それは、その必要性がなかったからだ。日韓の医療体制は政府の厳格な統制下にある。前述のように医学部定員数は、国家が厳密に管理し、医療保険の点数は、政府やその関連団体が決定する。これまで医師は増員されず、高額な保険点数が保証されてきた。医師にとって恵まれた護送船団方式だったといっていい。 これは、欧米を中心とした医師のあり方とは違う。医師は弁護士や聖職者と並ぶ古典的プロフェッショナルだ。ギリシャ・ローマ時代から、時の権力と様々な軋轢を経験し、独自の職業規範を形成してきた。チェ・ゲバラをはじめとして、医師に国家権力と戦う革命家が多いのは、このような歴史を反映している。 日韓の医師が、西欧とかけ離れたメンタリティを持つようになったのは、その近代史に負うところが大きい。日韓の医療の雛形を作ったのは明治政府だ。近代化を急いだ明治政府は、東京帝国大学をはじめとした帝国大学を設立し、国家、つまり政府にとって有為な人材を育成しようとした。日本の植民地となった韓国も、その影響を受けた。 法学部と医学部が中核を担ったのは、欧米の大学と同じだが、その教育の根底にあるのは古典的プロフェッショナリズムではなかった。教会や世俗権力と対立しても、自らの顧客を守ることを使命とする価値観は育たなかった。日韓は、欧米先進国から大学という教育システムは取り入れたが、その精神は受け継がなかった。彼らが最重視するのは、国家の意向だ。このあたりのメンタリティは、開発独裁の後進国のリーダーに近い。 この方法は、日韓が「後進国」の間はうまくいった。だからこそ、明治維新や漢江の奇跡を実現できたのだろう。 ただ、今となっては弊害が大きい。医師を含め古典的プロフェッショナルといわれる職種は、社会のエリートだ。彼らにこそ、国家権力と対峙してでも、社会を改革してもらいたい。ところが、日韓ともに、その気配はない。韓国の医師のストライキも、社会の支持を集めているとは言い難い。多くの韓国の国民は、医師の利権確保だと冷めた目で見ている。今回の韓国の医師ストライキは、韓国のエリートたちの退廃を象徴している。魚は頭から腐るというが、まさにその通りだ。 これは他人事ではない。日本の医師に対する国民のイメージも全く同じだろう。我々は、韓国のケースを他山の石として、自らのあり方を反省すべきである。
上昌広