齊藤工さんの「負い目」から始まった児童養護施設との交流。「子どもの顔をモザイクで隠さない」映画『大きな家』
一緒に過ごした時間はウソをつかない
本作はその題材ゆえに、「家族とは何か」という問いを観客の中に自然と発生させる。本作の制作を通して、齊藤さんと竹林監督は、「家族」というものをどう感じただろうか。 竹林「家族って何かと考える時、そこで普通と普通じゃない家族を分けたり、血はつながってなくても家族だとメディア側が一方的に決めつけるのも暴力的だと思うんです。『一緒に暮らしている他人』という言葉には、施設で暮らしている子どもたちの葛藤の中心にあるものが表れているんじゃないかなと、僕自身は考えました。 人は、自分の生活や環境を客観的に見られないことがあると思います。施設の子どもたちも、自分の人生を実際よりネガティブに捉えたり、他の家庭の子と比べて自分の環境は肯定できるのかと、どうしても考えてしまったりする時があるかもしれない。 僕たちにできることは、みんなの日常にある温かい瞬間や楽しい瞬間を収めること。それを何年か後に見返して、自分の気持ちや人生を振り返ってもらうために使ってくれたり、悪いことばかりじゃないなと思ってもらえたら嬉しいです」 映画は、様々な年齢の子どもたちを年の若い順で映し、中にはすでに18歳を迎えて独り立ちした青年も登場する。彼は施設に立ち寄った時、「実家みたいな感じ」がすると語っている。施設で過ごした年月の長さによっても、1人ひとり考えは異なる。齊藤さんは、監督発案によるこの構成から受け取ったものについて、こう語った。 齊藤「この作品は、7歳から19歳までの子どもたちを年齢順に取り上げる構成になっています。年齢が上がるにつれ、子どもたちの家族に対する捉え方が変わっていっているようにも感じました。その意味で、一緒に過ごした時間はウソをつかないんだと思ったんです。 施設の職員の方の1人がこの映画の感想で、『家族とは思えない』という子どもの声は辛辣だけど、普段は面と向かって聞くことがない言葉でもある、だけど、それを聞けたからこそもっと深く家族を目指せるんじゃないかと言っていたんです。血縁を超える家族というのは、僕にとって大きなテーマです。僕自身は、映画を通して子どもたちの葛藤を肌で感じた上で、血縁関係だけが家族じゃないという一つの答えをもらえた気がしています」