齊藤工さんの「負い目」から始まった児童養護施設との交流。「子どもの顔をモザイクで隠さない」映画『大きな家』
モザイクでは駄目な理由
プライバシーへの配慮という点では、被写体にモザイクでぼかしを入れる方法もある。テレビのニュースなどでは一般的な手法だ。しかし齊藤さんはある理由でそれはやりたくなかったのだそうだ。 齊藤「施設職員の方の話で印象的だったのは、写真や映像にぼかしを入れた状態で世に出ることで、『自分は隠さないといけない存在なんだ』と思ってしまう子どもがいるということです。だから、子どもたちの顔と本音の言葉を映してあげたかった。映画館なら、プライバシーを守りながら、それが可能だと思ったんです」 デジタル空間では、一度公開してしまった情報は消したくても消しきれない「デジタルタトゥー」となってしまう。誤解も広がりやすく、一部を切り取り事実がゆがめられることで頻繁に混乱が起きている。映画館という限定的な空間のみで展開するというのは、そうした時代に対するアンチテーゼともとれる。齊藤さんは、そういう情報化社会の中で映画館は「シェルター」のような存在だと考えている。 齊藤「ネット時代は情報のイニシアチブが受け手にあると感じています。映画で言えば配信サービスによって好きな作品を受け手が豊富な選択肢から選べて、どんなデバイスでも見られます。そういう時代の流れを止められると思っていませんが、今回のように、被写体が守られるべき対象だった場合、映画館には、ある種のシェルターになれるメリットがあるのではないでしょうか。映画館という場所の意義を問い直すことにもつながるんじゃないかとも期待しているんです」
施設の中と外を結ぶための映画
本作の大きな特徴は、施設の子どもたちの自然な姿をありのままに映しているという点だ。そこで交わされる会話も言葉も「メディア向け」のきれいごとのようには感じない。一緒に暮らす子どもたちや職員はどんな存在かと尋ねても、「血のつながりはないけど大事な家族」というような言葉は返ってこない。むしろ、「一緒に暮らしている他人」や「実家という感じとはちょっと違う」など、本音ベースの言葉が収められている。 こうした本音を撮影するために、竹林監督は様々な工夫と努力を重ねた。 竹林「段階を踏んで撮影を行い、最初の半年は月に2、3度カメラやマイクを持って訪ね一緒にご飯を食べたり遊んだりしました。次第に『いつまた来るの?』と言ってもらえるようになり、最後の半年は月の半分くらい行っていました。1日の撮影ノルマやゴールを定めずおおらかに構えて、みんなと一緒にいる時間を楽しむようにして撮影していって、無理に追いかけないことを意識しました。感覚的には、みんなに仲良くしてもらいに行った、という感じです」 2人は、施設の普通の日常を映画で見せることに意義を感じている。映画全体を通して、ことさらにドラマチックな場面を映そうという気負いは感じられず、彼らの生活を同じ高さの目線で淡々と見つめることにこだわった。 齊藤「施設の中の『普通』と施設の外の『普通』が違うんだと思うんです。この映画を作った僕らの願いは、映画に登場する子どもたちのこれからのサポートになればということと、施設の内側から見た日常を、施設の外の人と結んでいくことです。それが子どもたちの未来につながれば本望です」