ウォール街革創期の帝王「魚が欲しい猫は足をぬらせ」ダニエル・ドルー(上)
「カラ売りの元祖」、「ウォール街の飛将軍」、「投機家取締役」、「ウォール街の尻軽女」などは、ダニエル・ドルーに付けられた有難くないあだ名です。ドルーはウォール街革創期を代表する大相場師でしたが、その悪評は数え切れません。いったいどんな相場師だったのでしょうか?市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。
新興成金ドルーの信条は「魚にありつきたい猫は足をぬらせ」とは?
1860年ころから1890年ころにかけての米国は「ギルデット・エイジ」(金ピカ時代)と呼ばれ、新興成金が次々と輩出し、金権主義、贈収賄政治の時世であった。ドルーとコーネリアス・ヴァンダービルトはその時代を象徴する人物であった。 ドルーの信条は「魚にありつきたい猫は足をぬらせ」というもので、この信念で一生を貫き通した。日本流にいえば「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の勇猛果敢な生き方をモットーとした男だ。家畜商時代に1つのエピソードがある。 ドルーはある日、一群の牛を引き連れてニューヨークのセリ市へ売りに出掛ける。途中で一策を思いつく。ドルーの牛はやせていて高値で売り込むことはできそうにない。そこでドルーは一夜で牛を太らせる方法を講じた。牛飼いたちが寝静まったのを見届けると、地面一杯に塩を撒き散らし、牛たちにたっぷりなめさせた。ドルー一行はニューヨークの家畜市場に向け出発する。ころあいを見計らって牛を川辺に誘う。 「塩の効果はてき面に現れ、牛は海綿のごとく水を吸い込み、肥え太った。彼は少かならぬ高値で売りはけることができた。ウォール街で今日でも用いられる『水増し株』(watered-up stock)なる言葉の源はこのドルーの詭(き)計に発したといわれる」(熊田克郎著『ウォール街とアメリカ経済の発展』)
生涯のライバルとなるヴァンダービルトと出会いで株を始める
1830年ころにはハドソン川で蒸気船の運営を始め、この時生涯のライバルとなるヴァンダービルトと出会い、なわ張り争いを演じるが、のちに和解。ここでも金もうけに成功する。鉄道時代到来近しとにらんだドルーは鉄道株に着目し、ウォール街へ進出を図る。 「初めドルーは投機と金融だけに活動を絞っていたが、やがて証券の操作をやるには鉄道事業の内部に入るのが最もよいとみて、エリー鉄道の重役に入り込む。それは南北戦争の直前で彼のウォール街での悪評高い経歴もこれから始まる」(小椋広勝著『ウォール街』) ドルーがエリー鉄道の重役のポストをもぎとる際の手口が今もウォール街の語り草になっている。 「彼はまずエリー鉄道経営難のうわさを市場に流布して株価を63ドルから33ドルまで暴落させ、次いで経営者に対して、取締役の椅子を与えることを交換条件として150万ドルの資金融通を申し出た。資金難に陥っている当事者は直ちに喜んで彼の援助を求め、やすやすと会社の内部に入り込み……」(『ウォール街とアメリカ経済の発展』) 悪いうわさを流したとき、ドルーはエリー鉄道株のカラ売りを仕掛けるのは言うまでもない。ウォール街に橋頭堡(きょうとうほ)を築いたとき、ドルーはすでに50歳を過ぎていた。しかし、「カラ売りの元祖」としてウォール街に君臨していたヤコブ・リトルに代わって、「ウォール街の飛将軍」の地位を占める。