荒天でも「船を出せ!」26人が犠牲の沈没事故から2年…『知床遊覧船』社長「ブラックすぎる素顔」
亡くなった方は20人、行方不明者6人……。 未曽有の沈没事故から4月23日で2年が経った。北海道・知床沖の海に消えた観光船『KAZU1(以下、カズワン』の惨劇だ。海上保安庁は運航会社『知床遊覧船』の桂田精一社長(60)を、業務上過失致死などの疑いで捜査しているが立件までにいたっていない。遺族ら30人は桂田社長や同社を5月にも集団提訴する方針だという。 【画像】まるでゴミ屋敷…沈没事故の知床遊覧船「事務所の今の姿」&LINEでの「解雇通告」写真 事故後の会見以来、公の場に姿を見せない桂田社長。『FRIDAYデジタル』は事故直後の’22年4月29日配信の記事で、関係者の証言から桂田社長の「ブラックな素顔」を紹介している。再録して事件の背景や強引な経営実態を振り返りたい(内容は一部修正しています)ーー。 ◆「パフォーマンスに見えてしまう」 およそ2時間半の会見で、土下座すること3度。 北海道・知床沖で乗客乗員26人を乗せた観光船『カズワン』(全長12m、19トン)が行方不明となる事故が起きてから4日後、’22年4月27日になって運営会社『知床遊覧船』の桂田社長はようやく謝罪会見を開いた。しかし「午前中はシケていなかった」など、海の状況を判断する能力を疑うような説明に終始。安全意識の欠落を吐露する内容となった。 「土下座もパフォーマンスに見えてしまいます。社長は海の素人。事故の原因はなんだったのか、どこがいけなかったのか、よく理解していないのではないでしょうか」 こう話すのは、桂田社長を知る『カズワン』の母港ウトロ港近くに住む住民A氏だ。知人が「海の素人」と話す桂田社長とは、どんな人物なのだろうか。A氏が続ける。 「地元・斜里町から直線距離で60kmほど離れた、網走の高校に通っていました。下宿生としてね。卒業後は、茨城県の職業訓練校のような施設で陶芸の技術を学んでいたんじゃないかな。斜里町に戻ってきたのは、確か40歳を過ぎてからです。両親が経営していた、民宿やホテルを手伝っていました」 桂田氏が親の後を継ぎ、『国民宿舎桂田』などを運営する『しれとこ村』の社長に就任したのは’15年4月。『知床遊覧船』を買収したのは翌年のことだ。 「先代の社長が高齢になったため、売りに出したそうです。名乗りを上げたのが桂田社長。事務所や船を、丸ごと数千万円で買い取ったそうです」(全国紙社会部記者) だが、直後から『知床遊覧船』では内紛が起きる。 「桂田社長は旅館業のプロでも、海に関しては素人ですからね。ビジネス優先だったとか。海が荒れていても、利益を得るために『いいから船を出せ!』と指示していたそうです。反発した熟練の船員は、全員辞めてしまった。仕方なく、安い賃金で経験の浅いスタッフを雇いなおしたと聞いています」(同前) ◆〈ブラック企業で右往左往です〉 今回、事故を起こした『カズワン』の豊田徳幸船長(当時54)も能力を疑問視されていた。『知床遊覧船』に入社したのは事故の2年ほど前。その前は水陸両用車の団体で働いていたが、知床沖のような荒れることの多い海で船を操縦した経験は皆無だったという。 「通常は船の操縦技術が一人前になるまで3年はかかるといわれますが、桂田社長は『センスがある』と豊田さんを持ち上げ、1年ほどで船長にしたそうです。しかも一人で2隻を担当させた。マジメで寡黙だったという豊田さんは、要求を断れず悩んでいたのでしょう。自身のフェイスブックには、こう投稿しています。〈ブラック企業で右往左往です〉と」(同前) 豊田船長は、’21年6月に出航後まもなく浅瀬に乗り上げ船が座礁。業務上過失往来危険容疑で、’22年1月に書類送検されている。冒頭で証言したA氏が語る。 「謝罪会見で桂田社長は、最終責任は『私』としながら『(事故を起こした船は)船長判断による出航』と話していました。責任を豊田さんに押しつけている印象を受けます。小型観光船はゴールデンウイークから就航するのが通例なのに、『知床遊覧船』だけ1週間近く前倒ししたのは利益を優先させたからでしょう。桂田社長が天候を無視し安全を軽視した結果が、今回の大惨事を生んだと思います」 遺族への説明会でも「(事故の原因が)わからないことも含め私のいたらなさ」と、曖昧に語った桂田社長。海について十分な知識がないまま経営に乗り出した「ブラックな履歴」が招いた事故ともいえる。説明会の参加者からは「納得のいく説明をしろ!」「亡くなった人間のことをどう考えているんだ!」と怒号が飛んだという。
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