見つかった夫は「ただ白い灰でした」猛火に包まれた長田区鷹取地区 記憶の伝承と地域再生の歩み
【菅利秋さん(80)】「目の前で人が焼かれて、"ごめんなさい助けられずに"と。あの時の気持ちはどない言うていいのか。訳が分からんよ」 【動画で観る】見つかった夫は「ただ白い灰でした」猛火に包まれた長田区鷹取地区 記憶の伝承と地域再生の歩み 阪神・淡路大震災から30年。神戸市長田区鷹取地区で自治会長を務める菅利秋さんは、震災当時の記憶を語る際、今でも言葉に詰まります。あの日、目の前で起きた悲劇は、30年経った今でも鮮明に記憶に刻まれています。
■火の手が迫る中、がれき埋まる男性は家族に「お前ら逃げてくれ」
1995年1月17日、神戸市長田区の鷹取地区は猛火に包まれました。狭い路地に小さな長屋が軒を並べていた下町は、消火活動もままならず、地区のほぼすべての建物が焼け落ちました。およそ100人が犠牲となり、多くの人々が家族や友人、隣人を失いました。 鷹取地区・日吉町5丁目で自治会長を務める菅さんは自宅を訪れた学生に当時の経験を伝えます。 【菅利秋さん(80)】「"ここにお父さんが埋まっています。助けてください"と言うわけ。"待っとけよ、今からすぐ助けたるから"と言ったものの、道具も何もない。火がそこまで来たわけよ。燃えやすい状況だから。 その埋まっているお父さんが"お前ら逃げてくれ"と言ったんです。 その時、その声を聞いた時、自分やったらこんなこと言えるやろかと。まだ助けてくれとわめいているかもしれない。息子さんも"親父、親父!"と泣き叫んでいるし、お母さんも"お父さん、お父さん!"と言っている。そして火がその家に入った」
■白い灰で見つかった夫「こんなお父さんの焼けかすなんていらん!こんなもんいらん!」と叫んだ
このような悲劇は、鷹取地区の至る所で起きていました。多くの人々が、目の前で大切な人を助けることができずに無力感を味わいました。 【夫を亡くした女性】(1999年当時のインタビュー) 「お父さんが見つかったからねと、消防の人が見つけたから早く行ってと言われて、そばに行ってみたけど、もう白い…白い灰でした。 両手ですくい上げたら灰やから、風が吹いたらぱーっと飛ぶんですよ。それを見た瞬間にすごく悲しいというか空しいというか。 “こんなお父さんの焼けかすなんていらん!こんなもんいらん!”と叫んだわけね。 消防の人が“奥さんそんなこと言わないで。すごい火力で焼けて、冷めるまでここにじっとあったんだから、塊があるとか骨があるとか思わないでください、これが遺体ですから、これが遺骨ですから入れてあげてください”と」
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