スウェーデン生まれの優秀砲! 間に合わなかった海賊版【5式40mm高射機関砲】
かつてソ連のスターリンは、軍司令官たちを前にして「現代戦における大砲の威力は神にも等しい」と語ったと伝えられる。この言葉はソ連軍のみならず、世界の軍隊にも通用する「たとえ」といえよう。そこで、南方の島々やビルマの密林、中国の平原などでその「威光」を発揮して将兵に頼られた、日本陸軍の火砲に目を向けてみたい。 1920年代末、優れた軽対空自動火器を求めるスウェーデン海軍は、自国のボフォース社に開発を依頼した。その結果、砲腔口径をどうするかの問題など紆余曲折はあったものの、砲身長56.25口径(一般的には「60口径」と表記)、砲腔口径40mmの高射機関砲が完成。同砲は同国海軍だけでなく、陸軍にも採用された。 砲の射程と威力に対する砲の重量や機動性、作動の信頼性といった点で、このボフォース40mm機関砲はきわめて優れており、オランダやポーランドには早くから供されていた。やや遅れてイギリスも、優秀な艦載軽自動火器として同砲のライセンス生産に着手。イギリス製の同砲は1939年から配備が開始され、海軍のみならず陸軍でも採用された。 同時期、アメリカ海軍も優れた艦載軽自動火器を求めており、イギリスよりやや遅れてライセンス生産を開始。アメリカ製の同砲は1942年から配備が始まり、海軍艦艇の艦載軽自動火器として急速に普及した。 なお、アメリカ海軍の統計によれば、第二次世界大戦中にもっとも多くの敵機を撃墜したのが、艦載のボフォース40mm機関砲だという結果が出ている。 日本陸軍は1941年に始まった太平洋戦争緒戦のマレー作戦において、イギリス軍が使用していたボフォース40mm機関砲を50門以上鹵獲(ろかく)。その優秀性に着目し、一部を日本本土に送って研究・調査に供した。合わせて鹵獲砲を再利用するため砲弾のコピー生産が先行して行われた。 調査の結果、砲自体もコピー生産することになったが、公式図面や工作要領が示された製造マニュアルなどがほとんどない「海賊版」だったので生産に手間取り、結局、終戦間際の1945年5月に2門が完成したに止まった。 一方、日本海軍もボフォース40mm機関砲に着目しており、艦載型と陸上型を合わせて30門以上の「海賊生産」を行ったという。 たとえ無許可の海賊版だったとはいえ、もう少し早くに量産化されていれば、日本はおそらく単装で配備し、アメリカやイギリスは連装型や4連装型も多いので威力的な相違も生じただろうが、それらの国での戦例のごとく、洋上や陸上における低高度防空で優れた威力を発揮したと予想できるだけに、当時の日本の工業力の限界が悔やまれる。
白石 光