東京オートサロン、最熱のクルマ祭り 「楽しさ」を共有 東京オートサロン(上)
自動車好きのハートに火を入れる年初のイベントが「東京オートサロン」だ。世界最大級のカスタムカーショーとして毎年1月に幕張メッセ(千葉市)で開催される。前身イベントが1983年に始まり、約40年で「最熱のクルマ祭り」にのぼりつめた。しかし、業界団体が旗を振るのではなく、1人の編集者が発案して、世界規模のショーへ至る道のりは平たんではなかった。 第42回の「TOKYO AUTO SALON 2024」は2024年1月12~14日に開かれ、来場者は3日間で23万人を超えた。「幕張メッセのほぼ全ホールを使う催しはほかにあまりない。今ではそれでも出展要望に応えきれないほど規模が大きくなった」(東京オートサロン事務局の福井潤一事務局長)という。 東京オートサロンはカスタムカーと関連製品・サービスの展示会(トレードショー)だ。2024年は378社が出展。890台超の車両が披露された。会場にはファンの熱気がこもり、話題のブースには分厚い人垣ができた。 完成車メーカーのほか、全国各地でチューンアップやドレスアップを手がけるショップが参加する。それぞれに強みを持つショップ群はスタート当初からの主役だ。パーツや関連グッズはコアな来場者の関心が高い。 もともと完成車メーカー主導型のイベントではない。チューニング情報誌『OPTION』の初代編集長だった稲田大二郎氏が発案。「東京エキサイティングカーショー」という名前で立ち上げ、1983年に東京・晴海の東京国際見本市会場で第1回を開いた。 当時は「改造車」という呼び方が一般的だったことからもわかる通り、法的にグレーな部分があった。発案者の意識には「チューン文化を広めたいという気持ちが強かった」(福井氏)。 最初の大会名誉会長だったハードボイルド作家の大藪春彦は「暴走族とは違うこういった車の楽しみ方は今後も大事にしていきたいね」という言葉を寄せている。チューンの文化がいわゆる「走り屋」の色も帯びていたことをうかがわせる。 風向きが変わったのは、1995年の規制緩和からだ。道路運送車両法が見直され、合法的なチューンの余地が格段に広がった。背景にあったのは、日米間での自動車部品の市場開放を巡る協議。その後、パーツやショップが増えて、カスタマイズの楽しみがぐっと豊かになったのを追い風に、東京オートサロンの規模も膨らんでいった。 スタート当初から雑誌が旗振り役でよりどころだった。「当時はとがった速さやドレスアップへの関心が高かった。ブームと呼べる時代を迎え、クルマをいじる楽しみ方を分かち合う雑誌媒体も求められた」(福井氏)。東京オートサロンの認知度を高める上では雑誌での訴求が効果的だったようだ。 東京オートサロンの事務局は出版社の三栄に置かれている。『OPTION』をはじめ、『ゴルフトゥデイ』『男の隠れ家』などの雑誌で知られる。チューニングとドレスアップのムック『ハイパーレブ』は既に277号を重ねている。