え? いたの!? 実はユベントスの下部組織出身だった選手(3)ミラニスタだったが? セリエA史に名を残すボンバー
イタリアの名門ユベントスでは多くの才能が育つ。それだけに競争は激しく、トップチームに生き残れるのはほんの一握りだ。しかし、トップチームで輝けずとも、その後のキャリアで華を咲かせる選手もいる。今回は、選手や監督として成功を収めてきた、“実は”ユベントス下部組織出身の主な人物を紹介する。
FW:トンマーゾ・ロッキ(元イタリア代表) 生年月日:1977年9月19日 ユベントス通算成績:0試合0得点0アシスト セリエAで通算102ゴールをマークしたボンバーだ。水の都ベネツィア出身で、幼少期から町と同名のクラブ、ベネツィアに所属。「自分はミラニスタで、マルコ・ファン・バステンが自分のアイドルだった」と少年時代を回想するが、次に移籍したクラブはユベントスだった。 16歳で迎えた1年目の93/94シーズンには、ユースのカテゴリーで9番を背負いイタリア王者に。だが、「まだ若く、新たな町で勉強とスポーツを両立させるのは大変だった。新しい友だちはできたが、家族とは離れたため、寂しかったよ」と当時を振り返っている。その後、95/96シーズンには、運動量の多さを武器にトップチームに昇格。しかし、アレッサンドロ・デル・ピエロやジャンルカ・ビアリを擁し、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)を制したハイレベルなチームで出場機会を得ることはできなかった。 こうして、活躍の舞台は、セリエC2(4部リーグ)、C1(3部リーグ)へと移り、23歳から所属していたエンポリでようやく才能が開花。02/03シーズンにはセリエAデビューが叶い、6ゴールをマークした。そして、2004年に加入したラツィオでは後のレジェンドに。ユベントス時代に「唯一無二の選手たちから、彼らの秘密を『盗み』、ヒントを得た」ことは決して無駄ではなかった。現在はU-14ラツィオの指揮官を務める。
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