パニック障害を発症し、一時は歌うこともできず…そんな大江裕の背中を押した師匠・北島三郎の言葉〈サブちゃん、さんま、安住アナ…3人の師匠に育てられた演歌道〉
「平成生まれの昭和育ち」大江裕#1
2009年2月に当時19歳でシングル『のろま大将』でデビューした演歌歌手・大江裕。幼少期から演歌を深く嗜み、学生時代は「ポップスなどは本当に聴いてこなかった」と自身の背景を語るが、演歌歌手を目指すきっかけは何だったのか。また、11月16日に35歳を迎え、「中堅」ともいえるキャリアの持ち主となっているが、若い演歌歌手とはどのように接しているのか。本人に詳しく聞いてみた。(前後編の前編) 【画像】師匠・北島三郎とのグータッチ
「同級生とは、やっぱり話が合わなくて……」
――デビュー16年目を迎えた大江さんですが、そもそも演歌歌手を目指したきっかけは何だったのでしょう? 大江裕(以下、同) 僕は母子家庭で育ったんです。だから、母親だけでなく、祖父母にもすごく可愛がってもらったんです。 祖父はもともと演歌歌手を目指していた人で、一緒にカラオケに行くと、必ず演歌を聞かせてくれました。そうしているうちに、だんだんと演歌が好きになっていたんです。 僕としては、とにかく祖父が目指していた夢を叶えてあげたいなと、そう思いつつも、祖父は鹿児島県出身の九州男児で頑固な部分もあり、だから、偉そうなことは言えずにおりました。 ――最初に好きになった歌手の方や、特に好きだった曲はありますか? やはり北島三郎先生ですね。というのも、祖父が北島先生世代なので「北島三郎の歌を歌ったら、お前は一人前になれる」とずっと言われて育ちました。 それで僕も歌ってはみたのですが、声変わりする前なので、やっぱりすごく難しい。だから当時は、美空ひばりさん、中村美津子さん、天童よしみさんなどの曲を聴いて、歌っていました。 ――大江さんは、どんな子どもだったのでしょう。 幼少期から、年上と遊びたいという気持ちが常にありましたね。実際、小学生のときは地元(大阪・岸和田)の中学生と遊んでいましたし。 なぜかというと、演歌を聴いて育ったので、やっぱり同級生とは話が合わないんですよ。愛だの、恋だの、相引きだの……今は相引きとはなかなか言わないですね(笑)。演歌を通して、そういう大人の感情に触れてきたので。 ――年上の友だちとは、何をして遊んでいたんですか? 当時僕は先輩カップルばかりと遊んでいたのですが、カラオケにはよく行っていましたね。僕は先輩たちから「ゆう(裕)ちゃん」と呼ばれていたのですが、「ゆうちゃん、一緒にカラオケ行かない? 演歌聞かせてよ」と。 彼らからすると、珍しかったのでしょうね。そのとき先輩たちは宇多田ヒカルさんや浜崎あゆみさん、安室奈美恵さんなど、流行りの曲を歌うんですが、僕はもっぱら演歌ばかりでした。 ――演歌以外のジャンルの楽曲で、好きだったものはありますか? それが、ポップスなどは本当に聴いてこなかったんですよ。テレビを見るにしても、たとえばNHKの演歌番組ばかり。 正直「ほかのジャンルの楽曲も歌えたらいいのかもな」と思っていたのですが、友だちではなく、とにかくおじいちゃんを喜ばせたかった。だから、演歌しか聴いてきませんでした。 ――ちなみに、学業のほうは? はっきり言って、勉強はできないほうでしたね。中学1年生のとき、当時の数学の先生が私のほうに寄ってきて「ゆうちゃんは、勉強しなくていい。好きなことがあるんでしょう。友だちを見てごらん。それがわからなくて、いろいろなことにチャレンジしている。 でも、ゆうちゃんは小さなときから、演歌だけを見て走り続けてきた。勉強するのなら、歌の勉強をしなさい」と言ってくれたんです。その言葉に、私はビビッときて、演歌の道を極めようと考えたんです。 ――キャリアを決める重要な出会いだった、と。 そういう先生は、ほかにはいませんでしたから。やっぱり「勉強しなさい」「周りとズレてはいけない」とおっしゃる方が多かったので。 その数学の先生の言葉に支えられて、今もこの道を歩き続けられているのかなと思っています。