赤い空の衝撃 疎開先の飯能から見た東京大空襲描く 画家の尾形純さん 母が見た空襲の炎で赤く染まった空の記憶を色で表現 飯能市立博物館で9月1日まで企画展
埼玉県の飯能から見た東京大空襲を描いた画家の尾形純さん(61)の「記憶の色を保存する 炎と灰のモンタージュ―尾形純が描く飯能から見た東京大空襲―」展が飯能市立博物館(同市飯能)で開かれている。尾形さんの母恭子さん(89)が疎開した飯能で見た空襲の炎で染まった空と、空襲で焼けた都内の実家周辺を再現した作品を展示する。9月1日まで。 ビンタ炸裂、目が動いた瞬間に…熱中症で倒れても無視、終戦直後に1億玉砕へ訓練 「私を切って」挙手した16歳女子
東京大空襲があった1945年3月10日の未明は、県内でも東京方面の空が真っ赤だったという目撃談が多く語られており、当時小学3年生だった恭子さんも飯能市内の知人宅で赤い空を目撃した。 展示のメインとなる「飯能ヨリ臨ム東京大空襲火炎ノ空」はキャンバスを二つつなげた縦1・304メートル、横3・880メートルの大作。空襲後の焼けた街を描いた「焼失代田橋・鉛色ノ圖」では、炭素を使ってリアルな質感を表現した。恭子さんの記憶と擦り合わせるために描かれた下絵、試作品や、空襲で使用された焼夷(しょうい)弾、大型爆撃機B29についての資料も展示している。 20日には同館でアーティストトーク「母の記憶・空襲の『色』をたどる絵画の制作」が開催され、尾形さんが制作の過程を語った。恭子さんは「(戦争を)思い出したくない」と前向きではなかったが、2022年のロシアのウクライナ侵攻を機に「残したほうがいい」と賛同。「記憶の色をたどり作品にする」をテーマに、聞き取りや色の擦り合わせを重ねながら制作を進めたという。
尾形さんは「母が経験した戦争の景色の記憶を、母に代わって表現した。親子だからこそ細かく何度も(意見を)もらえた」と説明。「オリジナルの作品でなく、親子の、人間から人間に受け継いだ記憶として作り上げた。この展示を見て、もっと若い人たちが取り組んでくれてもいいと思う」と語った。 問い合わせは同館(電話042・972・1414)へ。