アート界注目の新鋭ジャデ・ファドジュティミにインタビュー
ロンドン出身の気鋭アーティスト、ジャデ・ファドジュティミが、タカ・イシイギャラリー 京都での個展のために来日した。カラフルでリズミカルな筆致のペインティングはなんと、日本のアニメが大きなインスピレーションになっているそう。2021年には史上最年少でイギリスでは最も権威ある国立美術館のひとつテート・ギャラリーに収蔵されるなど、今、世界で注目される現代美術界の新進スターに話を聞いた。 【記事中の画像をすべて見る】
──日本には、毎年のようにいらしてるとか。初来日はいつですか? 最初に来たのは2015年。その翌年に京都市立芸術大学との交換留学生として4ヶ月滞在しました。途中、コロナ禍もあり中断しましたが、合計10回以上は来日しています。 ──そんなにも日本が好きになった理由とは? 子供のころから日本のアニメに興味があって、300種類以上は観ています。「新世界より」、「4月は君の嘘」、「蟲師」、「どろろ」……、好きなアニメは挙げたらキリがないくらい、オタクって言っていいほど(笑)。アニメから始まってファッションや食べ物、言語など日本文化全般に興味が広がっていきました。 ──なぜそこまでアニメに魅せられたのですか? 10代のころ、気分が落ち込みがちで、母に日本のアニメでも観てみたら、と勧められたのがきっかけです。欧米のアニメではヒーローはヒーロー、悪者は悪者、って関係性が美化されているけれど、日本のアニメは何も特別なことが起こらなかったとしても淡々とした描写があり、そこから何かを感じることができる。ハッピーなのか、寂しいのか、とかは関係なく、より多くの“手がかり”が存在していると思います。 自分は子供の頃からいつもたくさんのWHY?という自問自答をし続けてきました。自分自身について、人生について、人間関係について、言葉には置き換えられない問答を繰り返し、今も、一日中考えていることがよくあります。仮説を立てたり、理論化したり、それで自分なりのセオリーを積み上げていくこと、それはアーティストとしての訓練でもあります。哲学者が論文を書くように、私はアートでそれを表現しているんです。表現のための言語が違うだけで、日本のアニメもまた、説明しきれないようなリアクションを表現しているように感じるんです。 自分は子供のころから物憂げだと言われていたけれど、私はそのままでいいと思っていました。人はなぜ幸福や寂しさ、という概念を信じ、寂しいという感情は治されなければならないのでしょうか?寂しさ、そのメランコリーこそが美しいのではないでしょうか?社会からの期待に応えるというルーティンやプレッシャーはあるかもしれないけれど、私は気にしていません。期待に応える、ということは本当の自分に向き合わない、ということでもあると思うんです。 ──白黒はっきりしない、日本の抽象性がアニメにあり、そこがジャデさんのアートに結びついているようですね。アニメのサウンドトラックを聴きながら、カラフルな絵の具を使い、大きなキャンバスにペインティングされている動画を拝見したのですが、その様子はアクションペインティングのようでもありました。 ペインティングしている時は、全てのアイディア、全ての記憶、全ての感情をミックスさせ、それらの要素を対話させながら自分の抽象表現としています。アクションペインティングは私も好きだから、そう言われるのは嬉しいけれど、印象派も好きだし、自分の作品にはいろんな絵画の文脈が入っているとは思います。自分は、先人の追随をしたいわけではないので、カテゴライズされることなく、さまざまなリファレンスの中から独自のアイデンティティを構築したい、とは考えています。