販売チャンネルの名前にまでなったのに日陰の存在! 「トヨタ・ビスタ」を振り返るとけっこう不遇なクルマだった
カムリの兄弟車「ビスタ」とは
現在ではどのディーラーでも全車種取り扱いとなったトヨタだが、過去には複数の販売チャンネルをもち、それぞれ特色のあるモデルをラインアップする時代が長く続いていた。 【画像】まさかのフェラーリにも不人気なモデルがあった そんな販売チャンネルのひとつである「トヨタビスタ店」は、1980年4月に新設された新しいもので、ショールームへ顧客に足を運んでもらう営業手法や、日曜営業を採り入れるなど、いまでは当たり前となったディーラーの営業形態をいち早く行った実験的な販売チャンネルとなっていた。 そんなトヨタビスタ店の名前を冠して、1982年3月に満を持して登場したのが初代ビスタだった。ただ、大々的に販売チャンネルの名前を冠していたにもかかわらず、クルマとしてはカムリの兄弟車というもので、細かな意匠こそ差別化されていたものの、メカニズムは共通となっていたのだ。 そんなビスタに差別化がなされたのは1982年8月のことで、前年の東京モーターショーに出展されていた「F-120」の市販版となる5ドアハッチバックモデルが追加された。 この5ドアハッチバックはカムリにはラインアップされなかったもので、クーペのように傾斜の強いリヤハッチが特徴的なモデルとなっていたのだが、日本では5ドアハッチバックはなかなか受け入れられず、結局当代のみの設定となってしまった。 その後も兄弟車のカムリと同じタイミングでモデルチェンジを重ねたビスタだったが、2代目、3代目ではカムリにプロミネントという名前で設定されていたV型6気筒エンジン搭載グレードは存在しないなど、やや不遇な扱いとなっていたが、1994年7月に登場した4代目ではカムリには存在しない4ドアハードトップをラインアップして面目を保った。 そして、カムリが1998年7月にカムリグラシアに統合されて3ナンバー化がなされると、ビスタはカムリとの兄弟車関係を解消し、独自路線を歩むこととなる。 そうして生まれた5代目ビスタは、5ナンバーサイズは死守しながらも全高が1500mmを超える背高スタイルとなって広い室内空間を実現。さらに、センターメーターやコラムシフトなども採用し、新時代の価値観を持ったモデルに生まれ変わり、ステーションワゴンモデルのビスタアルデオもラインアップに加えた。 しかし、当時すでにビスタのユーザーはかなり年齢層が上がっており、若いユーザーにはミニバンブームが到来していたこともあって人気を獲得することは叶わず、2003年秋には終売。21年の歴史に幕を閉じる結果となってしまったのだった。
小鮒康一