「ユニクロ」と「無印」Tシャツを触って当てられるか!? 洋服大好き水曜日のカンパネラ・詩羽が挑戦
水曜日のカンパネラ 詩羽がナビゲートするJ-WAVEの番組『MASSIVE HISTORIA』で、Tシャツの歴史を深掘り。詩羽がTシャツのこだわりなどを語った。ここではその模様をテキストで紹介する。オンエア日は7月20日(土)。 本番組はポッドキャストでも配信中だ。
「洋服は簡単に毎日をちょっと良くする方法」
オンエア当日の7月20日は「Tシャツの日」ということで、今回はTシャツの歴史を学ぶことに。洋服好きな詩羽は、Tシャツだけで50着ほど持っていると言う。 詩羽:オーバーサイズのものと、逆にミニ丈やヘソ出しが流行ったのでチビTも、どっちもそろえていますね。カラーは全色くらいあります。Tシャツってパッと着られる1枚なので、派手な服もいいですね。ロゴのかわいいTシャツも結構選びます。明るいものを着ると気持ちも明るくなるので。今日は暑くて歩くのもキツいってときでも明るいものを着ると、だいぶ心が軽くなりますよね。 詩羽は「洋服は簡単に毎日をちょっと良くする方法」と続ける。 詩羽:Tシャツは特に1枚で着られますからね。今日は雨だけど黄色の服を着て出て、雨に打ち勝ってやるみたいなのも、すごくいいんじゃないかなって思います。 Tシャツの歴史は諸説あるが、発祥は19世紀のヨーロッパと言われている。第一次世界大戦中の1912年頃、アメリカ海軍で支給されていた制服は分厚くて重いウール素材だった。一方、ヨーロッパの兵士は綿素材の肌着として着用していたので夏が快適だったことから、これを参考にしてアメリカ兵が作った綿のシャツがTシャツの原型と言われている。 1920年代前半、下着としてのTシャツが普及していった。当時アメリカでは、下着といえば綿素材であまり伸び縮みがしない生地、手首から足首までを覆うスーツタイプが主流だったという。そんな中、野外で働く人のために販売されていたTシャツが、アメリカ軍アカデミー訓練用ウエアとして採用されたことで、それ以降は綿素材のTシャツが世の中に広まっていった。この頃、すでに今のTシャツと変わらないコットン素材で大衆に広がっている。 その後、1940年代前半になると、アメリカ海軍は丸首で綿100パーセント、Tの形をした新しいスタイルのTシャツを隊員たちに支給。1940年代後半の戦後には、軍隊の象徴とされていたTシャツが、社会の階層を問わず定着した。