「サッカーの神様は見ている」ヴィッセル神戸、35歳・新井章太の初先発は努力の結晶。セカンドGKの覚悟と在り方【コラム】
明治安田J1リーグ第8節、FC町田ゼルビア対ヴィッセル神戸が13日に行われ、アウェイの神戸が2-1で勝利した。この試合、勝利に大きく貢献したのがベテランGK新井章太だった。前川黛也が出場停止となり、初めて巡ってきた先発の機会で活躍できた理由には、セカンドキーパーとしての覚悟や在り方を理解しているからこその結果と言える。(取材・文:藤江直人) 【動画】FC町田ゼルビア対ヴィッセル神戸 ハイライト
●「先発で出るのが本当に久しぶりだったけど…」 これまでと変わらない安心感が、国立競技場のゴールマウスからひしひしと伝わってくる。 「ウチで出る試合経験の少なさ、というのはあるかもしれないけど、やはりベテランだし、何回も修羅場をくぐってきたゴールキーパーなので、特に心配はしていませんでした」 右サイドバックとしてこれまで全試合にフル出場している副キャプテンの酒井高徳が声を弾ませれば、ともに副キャプテンを務めるセンターバックの山川哲史も同じニュアンスの言葉を紡いだ。 「試合で一緒にプレーするケースはなかったけど、普段の練習から1対1の場面を含めたセービングのところはすごく強みがあるゴールキーパーだと思っていたので、安心して後ろを任せられました」 最終ラインを形成するチームメイトたちから全幅の信頼を寄せられた35歳のベテラン、新井章太は静かな口調で新天地、ヴィッセル神戸で初めて巡ってきた先発を振り返った。 「クロスに対してはこうだった、といった具合に、前半は自分のなかで試合勘を戻している感じもありました。先発で出るのが本当に久しぶりだったけど、最低限の仕事はできたかなと思います」 J2のジェフユナイテッド千葉に所属していた昨年7月5日の大宮アルディージャ戦以来、283日ぶりとなる公式戦の先発。J1に限れば川崎フロンターレ時代の2019年11月9日の鹿島アントラーズ戦以来、実に1617日ぶりの大舞台となった13日のFC町田ゼルビアとのJ1リーグ第8節でフル出場した新井は、いぶし銀の輝きを放ちながら神戸に3試合ぶりの白星をもたらす原動力になった。 ●FC町田ゼルビアのロングスローは「事故を狙っているだけ」 キックオフ前の時点で首位に立つ町田の十八番にいきなりさらされた。開始4分までに右から2本、左から1本と計3度もロングスローを放り込まれた。最初にDF鈴木準弥が投じた3分の場面こそ、前へ出ながら両手でボールをパンチングした新井は、その後はポジションを移すのを自重している。 クロスなどに代表されるキックに比べて、手で投げるロングスローはスピードが大きく劣る。ボールが描く軌道も山なりで、重力との関係もあって、ゴール付近でどうしても失速して落ちる。 「前日の練習からしっかり対策をしていました。ボールが落ちる分だけキーパーが前へ出るリスクというものも増えてくるので、その判断を本当にはっきりしようと。前半はチャレンジしましたけど、そこは自分がいままで積み重ねてきた経験をもとにした判断のなかでプレーしました」 2本目以降は味方のフィールドプレイヤーに、ロングスローの処理を任せた理由を語った新井は、開幕からさまざまな意味で注目を集めていた町田の武器のひとつを次のように看破している。 「相手は事故を狙っているだけなので、あまり自分が引き出されないというか、ゴールを空けない、というプレーを心がけて、あとはとにかくゴールを守るという姿勢で常に準備していました」 例えば先制した直後の前半アディショナルタイム48分。右サイドから鈴木が放った6本目のロングスローのこぼれ球に対して、ペナルティーエリアの外でボランチの仙頭啓矢が強烈なブレ球のボレーシュートを見舞った。味方のブラインドとなり、反応がわずかに遅れた新井だったが、それでもゴール中央にしっかりとポジションを取っていた体勢から両手で弾き返してピンチを未然に防いでいる。 87分に右サイドからDF林幸多郎が投じた8本目のロングスローでも、同じくペナルティーエリアの外からFW荒木駿太に右足ボレーを放たれた。しかもゴール正面ではなく、左隅へコントロールされた一撃。あわや同点の大ピンチも、横っ飛びした新井のビッグセーブに救われた。 もっとも、新井によれば必然に近いと言っていいプレーだった。 ●新井章太が常に心がけていたプレーは? 「あれは前半の(仙頭の)ミドルシュートに比べたら、一瞬ですけどボールもある程度見えたので、本当に自信を持って、練習で準備していた通りにしっかりと弾けたと思っています」 むしろ事故が起こりかけたのは、1-2と追い上げられた後の後半アディショナルタイム98分だった。それまでアタッキングサードに入ったときにだけロングスローを放っていた町田が、林が敵陣に少し入ったあたりから、なりふり構わぬ形で神戸のゴール前にロングスローを放り込んできた。 しかも、途中投入されていた身長192cmのDF望月ヘンリー海輝が空中戦を制し、ひとつ飛び抜けた頭でさらにボールを前へすらす。パワープレーで前線に上がっていたDFチャン・ミンギュが飛び込むも、それまでポジションを保っていた新井が満を持して飛び出し、その眼前でキャッチした。 そのまま倒れ込んだ新井の背中を、ナイスプレーと感謝の思いを込めて酒井がポンと叩いた。結局、この12本目が最後のロングスローになった。13本目を獲得した直後の100分。神戸の勝利を告げる笛を中村太主審が鳴り響かせ、左タッチライン際でスタンバイしていた林が悔しそうにボールを叩きつけた。2敗目を喫した瞬間、第4節から首位をキープしてきた町田の陥落が決まった。 「ディフェンスラインが本当に粘り強く、最後までボールを見ながら、しっかりとはね返す対応をしてくれた。キーパーとしてボールが裏に抜けてくる状況への準備だけは常に心がけていましたけど、後ろにそらすようなケースもほとんどなかった。本当にディフェンスラインの選手たちに感謝したいですね」 町田のもうひとつの十八番、ロングボールへの対応を含めて仲間たちをこう称えた新井は、森保ジャパンに名を連ねる守護神、前川黛也が一発退場した横浜F・マリノスとの前節の79分から神戸での初出場を果たしていた。しかし、直後の83分に勝ち越しゴールを喫してチームも1-2で敗れた。 前川が出場停止となる町田戦へ。自分の他にオビ・パウエル・オビンナ、高山汐生がトップチーム登録されているゴールキーパー陣のなかで、いつもと変わらない日々を過ごせたと新井は振り返る。 ●王者・ヴィッセル神戸からのオファーに「すぐに『行きます』」 「リザーブであれ先発であれ、常にまったく同じ準備をしています。自分自身、川崎F時代にリザーブが長かったので、そのときの経験を生かして、特に心の部分でいい準備ができたと思っています」 その姿を見た吉田監督も、町田戦のゴールマウスをオビではなく新井に任せたのだろう。 J1リーグ連覇を目指す2024シーズンへ。神戸は前川を除いたキーパー陣の顔ぶれを刷新した。 プロ7シーズン目で初めて全34試合、3060分にわたってフルタイム出場を果たした前川とともにキーパーチームを形成した坪井湧也がジュビロ磐田へ、年代別のブラジル代表に選出された経験を持つフェリペ・メギオラーロが横浜FCへ、廣永遼太郎が関東サッカーリーグ2部のtonan前橋へ移籍した。 入れ替わる形で加入したのが、マリノスでJ1通算9試合に出場した身長193cmのオビ、筑波大卒のルーキーで190cmの高山、そして川崎F時代に同通算41試合に出場した185cmの新井だった。 2019シーズンのオフに完全移籍したJ2の千葉では「1番」を託され、全42試合、3780分にわたってフルタイム出場を果たした2020シーズンを含めて4年間で143試合に出場。昨シーズンの後半は先発に定着した鈴木椋大をリザーブとして支えた新井は、王者・神戸からのオファーに胸の高鳴りを覚えた。 「(千葉の強化部へ)すぐに『行きます』と伝えました。普通に考えればこんなチャンスはめったにないので、チャレンジさせてほしいと伝えさせてもらいました」 ●セカンドキーパーとしての在り方 ゴールキーパーが背負う宿命は誰よりも理解している。フィールドプレイヤーと異なり、先発できるのは1人だけ。戦術的あるいは試合の流れを変える目的で途中投入されるケースは皆無。リザーブが途中から投入されるのは、先発したキーパーが負傷した場合か、退場処分を受けた場合に限られる。 さらにレギュラーの守護神とリザーブの間には目には見えない、なかなか埋められない壁が存在する。監督以下の首脳陣の間で一度定められた序列を、シーズン中に覆す作業は決して容易ではない。それでもリザーブのキーパーたちは、不断の努力を怠ることもまた絶対に許されない。 いつ訪れるかわからない出場機会に備えて心技体を磨き上げ、コンディションを常に完璧に整えておかなければならない。チームが直面した緊急事態で出番を命じられたときに、最後の砦へと昇華して、自らの背後に広がる横幅7.32m、高さ2.44mのゴールマウスを守れなければ信頼を失う。 自身のキャリアを振り返れば、国士舘大から2011シーズンに加入した当時J2の東京ヴェルディでは、土肥洋一と柴崎貴広の壁に阻まれ続け、公式戦出場が0のまま2年間で退団した。 トライアウトをへて2013シーズンに加入した川崎Fでも、西部洋平や杉山力裕、そしてチョン・ソンリョンの後塵を拝し続けた。それでも、新井は自らにこんな言葉を言い聞かせ続けた。 「ずっとセカンドキーパーで、試合に出られない時期も長かったけど、毎日毎日、本当にサッカーだけを考えて、うまくなるという気持ちを常に持ち続けていれば、必ずサッカーの神様は見てくれている」 迎えた2019シーズンのYBCルヴァンカップ決勝。延長戦を終えて川崎F、北海道コンサドーレ札幌ともに3ゴールずつを奪った死闘は運命のPK戦へ突入し、5本目と6本目を立て続けに止めた新井の活躍もあって川崎Fが大会初優勝を飾った。そして、新井は決勝のMVPに選出された。 新井が積み重ねてきた努力を、誰よりも知る大黒柱の中村憲剛はこんな言葉を残している。 ●「毎日毎日ボールに食らいつくことだけ」 「頑張る選手には転がってくるんだ、努力は報われるんだ、と。ちょっと幸せな気持ちになりました」 守護神として前川が君臨する神戸における立ち位置も、もちろん理解していた。 「僕たちは優勝を目指しているので、僕が活躍してやろうとか、僕がポジションを奪ってやろうとか、そういった気持ちだけでは長いシーズンを戦え抜けない。どんなときでも試合に出ている選手を応援する、という気持ちも大事ですし、自分が出たときにしっかりやってやる、という気持ちも大事。いろいろなバランスがあって初めて強いチームになると思っているので、そこを重点的にやってきました」 胸中を明かした新井は、開幕直前のトレーニングで両上顎骨骨折、右上一番歯牙完全脱臼、下唇裂創と全治約6週間の怪我を負い、開幕から4試合続けてベンチ外だった。3月下旬に復帰し、2試合連続のリザーブから途中出場、そして先発を果たした過程で自らに課してきたテーマをこう振り返る。 「毎日毎日ボールに食らいつくことだけですね。それをやっていないと、いざ試合に出たときにまったく何もできなくなってしまう。常に試合に出られる準備を、練習のなかでやっているだけです」 ライバルであり、お互いをリスペクトし合う、かけがえのない仲間でもあるキーパーチームで切磋琢磨する日々が再び始まる。もっとも、新井は画竜点睛を欠いた思いを、今後への糧として抱いている。 後半アディショナルタイム96分。ペナルティーエリア内へ巧みに侵入してきたDFドレシェヴィッチが放った強烈なシュートが、至近距離にいた新井の股間を突いて1点を返された。 「悔しいですね。あれだけみんなが粘り強く最後まで粘ってくれたなかで、どちらかのサイドに来ればおそらく自分が止められたと思うんですけど、股間が空いてしまった。それがすごく悔やまれます」 反省の弁は町田戦に対してではなく、いつ巡ってくるかがわからない次戦へと向けられている。過去ではなく、常に未来をみすえる。さらなる成長を期す新井へ、吉田監督も「彼の経験も含めて、本当に頼もしく思っています」と目を細める。こんなゴールキーパーがリザーブに名を連ねるチームは強い。 (取材・文:藤江直人)