「刑務官の実弾射撃訓練、新人はもうやめます」意外に知らない刑務所の変化 監獄改良→国家が理想とする人間に→力による押さえ込み→事細かな規律→再犯防止へ
悪いことをした人なのだから厳しく(処遇)してもよい、ということです。仮に刑務官が暴力を振るうなどのトラブルが発生しても短い期間で出所するため、泣き寝入り的な状況になり、受刑者と刑務官の対立構造には発展せず、受刑者も救済を外部に求めるといったことはしませんでした。 冒頭で説明した、拳銃大会が行われていた時期とかぶります」 ―その後に来る「規律管理行刑」はどういった性格でしょうか。 「1960年の安保闘争を思い浮かべてください。この時期から、過激派と呼ばれるような人たちが収容されるようになりました。ハンガーストライキをしたり、訴訟を起こしたり。これまでとは全く性質の異なる受刑者です。そのような人たちを処遇するには、事細かな規律順守事項を決める必要がありました。 このような施設の規律秩序維持を強く求める管理行刑が行き過ぎて表出してしまったのが、2001~02年の名古屋刑務所事件です」
―副看守長が、男性受刑者の肛門に消防用ホースで放水し、死亡させた事件ですね。計3人が逮捕され、いずれも有罪が確定しました。 「この事件を受け、2006年に監獄法から刑事収容施設法に変わりました。第30条に『受刑者の処遇は…改善更生の意欲の喚起及び社会生活に適応する能力の育成を図ること』との記載があります。少なくとも力で押さえ込む保安的な形の処遇は否定されたはずでした」 ―時を経て、再び名古屋刑務所で暴行事件が起きてしまいました。 「2005、6年ごろは過剰収容のピークでした。法律は変わったけれど、現場は急には変われず、一律に施設内の規則を遵守させるといった『管理行刑』的な発想が残っていたのです。つまり、今回の事件の背景には刑事収容施設法第30条の処遇理念がしっかりと浸透していなかったことがあると考えます。 不適切な処遇をした刑務官の大半は3年未満の若手でした。新型コロナウイルス禍で、新人刑務官は先輩からの指導や教育を受けづらくなっていました。現場での対応が分からずに孤立した若手職員への支援が十分になされておらず、若手職員は定められている所内の規則を一律に守らせることだけに意識が向けられていたのではないでしょうか」