若冲ブームの先駆け『奇想の系譜』著者・辻惟雄92歳――最後に正統派を語る!?
半世紀を超えて今また熱く読み継がれる名著『奇想の系譜』。もっともっとこんな面白い絵があるんだよと教えてくれた本だったがいつの間にかそっちの方の人気が高まって、本筋の絵の方の陰が薄いなら、そっちをあらためてちゃんと語りますという本が出た。辻惟雄先生のお話ってなんでいつもこんなに面白いんだろう。 【写真】辻惟雄『最後に、絵を語る。 奇想の美術史家の特別講義』のページ
曽我蕭白、狩野山雪、歌川国芳らに光を当てた美術史家
以下の用語を説明できる? ①辻惟雄 ②『奇想の系譜』 ③伊藤若冲 ④動植綵絵 難易度は簡単な方から難しい方へ、③→④→②→①の順かな。 ③伊藤若冲はわかるだろう。江戸中後期に京都で活躍した画家。その代表作の一つが④動植綵絵。30幅の彩色画。皇居三の丸尚蔵館蔵。国宝。②『奇想の系譜』は伊藤若冲や狩野山雪など日本美術の本流ではないとされながらも特筆すべき絵師たちを取り上げた本。①辻惟雄はその著者である。僕はこれまで何度もインタビューや講演などでお会いし、以前から辻先生と呼んでいるのでここでも先生と書かせていただく。その最新著書の話。 なにっ? 若冲って、本流から外れているの? って驚かれるかもしれない。振り返れば、京都国立博物館が2000年に開催した若冲の展覧会からいろいろなことが動き出したのだ。「こんな画家がいた!」というキャッチから、当時の若冲のマイナー感がわかるだろう。その16年後の2016年、若冲の《釈迦三尊像》と《動植綵絵》を一気に展示した東京都美術館の「生誕300年記念 若冲展」では最長320分待ちの行列が出来た。320分? 5時間20分! 研究者や一部の日本美術マニアの間では知られていたが、そもそも美術や歴史の教科書に載っていなかった画家、若冲を一般的に紹介したのが1968年、雑誌『美術手帖』の連載「江戸のアヴァンギャルド」で、それが70年に単行本『奇想の系譜』にまとめられた。著者は辻惟雄先生。それまで、いわば傍流扱い、悪い言い方をする人ならゲテモノとまで言われる画家たちに光を当てた本だ。岩佐又兵衛、伊藤若冲、曽我蕭白、狩野山雪、歌川国芳、長沢芦雪という今では大人気の画家たちを取り上げた。 『奇想の系譜』出版から30年後の2000年の「若冲」展。この頃、インターネットの口コミが機能し始め、「すごい展覧会が京都でやってる」と話題を増幅した。若冲の重要な作品の所蔵者がアメリカ人だったり、日本美術にヒントを得て、自作に応用する村上隆や会田誠、山口晃ら現代美術アーティストの人気が高まってきた時期でもあったし、マンガやアニメ、CGまでもが日本美術の関連でも語られだした頃。当時新人歌手だった宇多田ヒカルが若冲作品をPVに取り入れたり。 以後、若冲らが日本美術ファンを増やし、展覧会に足を運ばせるのは喜ばしいことだが当の辻先生はこういう思いをしていた。「(『奇想の系譜』で取り上げたような画家たちばかりに)人気が集まりすぎて、それまで巨匠視されていた狩野元信、探幽、円山応挙らの影が薄くなってしまった」(本書「はじめに」)。そんな気がかりだったところに本書の編集者が現れる。 「最初はインターネットの記事用に展覧会の解説を、というような依頼だったと思うんだけど、円山応挙、長沢芦雪、やまと絵、それから狩野派と話していくうちにね、どうもこれは『奇想の系譜』を相対化する意図があるらしいぞ、と気づいたんです」(本書第5講 辻惟雄×山下裕二 師弟対談 あとがきにかえて)。アンチ『奇想の系譜』? 中和? というわけで、辻先生、講義をお願いしますと始まり、こんな本ができた。全部で5つの講義が章立てになっている。