「2時間くらい号泣していました」“棋士のタマゴ”たちが切磋琢磨する中で「負けたから強くなれた」原点とは
大学進学への時期とも重なった、三段リーグ
――冨田さんが三段リーグに参加したのは13年前期の第53回リーグからでした。 冨田 年齢制限まで10年あるので、プロ入りは間違いないと思っていましたね。あわよくば高校生四段も考えていました。三段リーグの初日に戦ったのが増田さんと黒沢さん(怜生六段)です。増田さんには勝ちましたが、黒沢さんにはボロボロにされました。当時強いという評判があった三段2人に1勝1敗なら上がれるかなと楽観していました。結果、1期目は9勝9敗でしたが、最終戦で昇段の決まっていた石井さん(健太郎七段)に勝ったことも自信になりました。 一つ気になったことに、千田さん(翔太八段)、斎藤さん、菅井さん(竜也八段)と、直近で関西から四段に上がった強いメンバーは皆、三段リーグで常に勝ち越していたということがありました。 ――ちょうどその頃は大学進学への時期とも重なります。 冨田 高校にも行くつもりがなかった自分が大学へというのは驚きでしたね。高校で将棋以外の友人と話すのが楽しく気分転換になり、それが良い循環になっていました。大学進学は親とも相談して、行かずに後悔よりは行ったほうがということになりました。 ――将棋部が強いことで知られる立命館大学へ進学されました。 冨田 もちろん私は奨励会員ですから大学大会には参加できませんけど、将棋部ではかなり指しましたね。先輩に中川慧梧さんや久保田貴洋さん(両名ともに有数のアマ強豪で、対プロ公式戦での勝利もある)がいて、強くしてもらいました。 ――大学将棋の醍醐味の一つに、団体戦があるとされます。 冨田 一番大きいのが年末に行われる学生王座戦ですよね。サポーター役ですが、対局の記録を取るときに私なら一度に複数局をできるので、省エネに貢献しました(笑)。立命館伝統の円陣にも加わって、青春です。私が4回生の時には京都大学との無敗対決があり、2勝3敗から残り2人が勝ってひっくり返した時は私も含めて部員の半分くらいが泣いていました。皆の思いを背負って団体戦を指すのはうらやましく、一度はやってみたいと思っていました。 写真=石川啓次/文藝春秋 「実力もさることながら…」当時14歳だった藤井聡太が、三段リーグの対戦相手に与えた“衝撃”とは へ続く
相崎 修司