高級魚マグロが江戸の人々から嫌われた意外な理由 江戸時代の食事情とは
100年前にあった江戸時代版ミシュランガイド
上柳:最近は温泉とか宿とかいろんな番付がありますが、江戸でも番付ブームがあったそうですね。 車浮代さん:相撲番付が元ですが、それを模したいろんな番付があったんです。例えば、「いい女番付」「料理屋番付」とういう風に、西方・東方に分けていろいろやっていたようです。 今でいうミシュランガイドですが、実は100年前の江戸には料理屋番付があり、そこで1位になれば大関となるので、料理屋さんは大関を取るために切磋琢磨していました。その頃はまだ横綱という地位がなかったので、大関が1番だったようです。 上柳:なんだか現代と同じですね。 車浮代さん:はい、今と同じなんです。料理屋番付が出るのを、庶民も「今年はどこのお店が1位なんだ?」と今か今かと待っていて、紹介されたお店にとりあえず食べに行っていました。この番付に載るか載らないかで、お店の売り上げは全然違ったようです。 上柳:中には貧困に喘ぐ人たちもいたと思うし、農村部ではまた違う文化だったのでしょうが、江戸の市中にいて、それなりの暮らしをしている町人の皆さんは、番付を作って楽しむというゆとりがあったのですね。 車浮代さん:実は仕事もたくさんあり、働く気になれば普通に食べていけたようです。 上柳:こうした番付ブームが、江戸料理を高めたり広めたりするきっかけだったのですね。 ――実は、私たちのいつもの食事でよく食べられている江戸料理。江戸の人々が限定された環境で工夫し、試行錯誤を重ねた末に作った食文化は、いまの暮らしにしっかりと息づいている。江戸料理を知り、『これは濃い口しょうゆの料理だから、ルーツは江戸かな?』などと思いを馳せながら食べてみると、食事に込められた背景や物語を感じ、味わい方も少し変わるかも知れない。