高級魚マグロが江戸の人々から嫌われた意外な理由 江戸時代の食事情とは
江戸料理とは?
上柳:車さんは『大河ドラマの世界を楽しむ! 江戸レシピ&短編小説 居酒屋 蔦重』(オレンジページ)という本をお書きになっていて、これまでに江戸料理を1200種類ぐらい再現しているそうですが、どういったものが江戸料理なのでしょうか? 車浮代さん:よくその質問をいただきますが、簡単に言うと「おかずのルーツが江戸料理」とお答えしています。 上柳:いま私たちが食べているようなおかずですか? 車浮代さん:そうです。濃口醤油で作ったものは、江戸の郷土料理なんですよ。醤油はもともと、和歌山県の湯浅町が発祥と言われ、今でいう薄口醤油系の醤油だったのですが、とても高価なもので一般庶民は使えなかったんです。そこで、湯浅の職人が(千葉県の)野田や銚子へ行って、醤油を作り始めたと言われています。 上柳:野田や銚子の気候風土が、和歌山と似ていたのかもしれませんね。 車浮代さん:野田や銚子で作った醤油は、もっと江戸の風味があったようです。江戸はかつおだしだから、もっと濃い味の醤油が必要だということで、ちょっと配分を変え、今でいう濃口醤油が出来上がりました。醤油を江戸へ届けるのも隅田川を下るだけなので、輸送費も安く済みます。 こうして庶民に広まったことで、濃口醤油を使ったいろいろな料理が作られるようになりました。きんぴらゴボウも、本来は江戸料理なんですよ。 上柳:ちょっと和食っぽいおかずだな、と感じるものはほとんど江戸時代にルーツがあったのですね。 車浮代さん:そうですね。「江戸前の四天王」と言われている「ウナギ」「天ぷら」「そば」「すし」の4つは、醤油があってこその料理です。 上柳:たしかに、あのタレやつゆは醬油が無いとですよね。
江戸で濃口醤油が使われた理由
上柳:なぜ江戸では濃口醤油が好まれたのでしょうか? 今でも関東と関西では醤油が違ったりします。 車浮代さん:関西は、水が超軟水なんです。水にミネラルがあまり入ってないため、昆布のだしが出やすいんです。一方、関東や江戸は沼地を埋め立てて作っていますから、なんだかんだでミネラルがやや入ってしまう軟水なんです。 上柳:関東ローム層で火山灰もいっぱいあるからでしょうか。 車浮代さん:そうなんです。こうしたことから、江戸では昆布だしがうまく出ないので、かつおだしが主流になりました。 上柳:水にミネラルが多いと、昆布だしが出にくいのですね。 車浮代さん:また、その頃はかつお節も普及していましたので、濃いめの醤油が使われたということです。 上柳:江戸料理は、全国の食卓にどうやって広がったのでしょうか? 車浮代さん:例えば参勤交代とか。 上柳:なるほど。江戸料理を食べて、自分の国へ帰ったときに「江戸ではこういう料理、こういう味があるんだよ」なんて言って広がったのかもしれないですね。 車浮代さん:他にも、転勤や旅ブームの影響もあります。「やっぱり、江戸に1回は行ってみたい!」と思う人が多く、地方から来ていたようです。 いま、濃口醤油が無い家は全国に無いということは、江戸料理が広がりすぎて「江戸料理」という言葉が消えてしまったのかもしれません。 上柳:私たちが日常的に食べているさまざまなおかずが、江戸料理だったのですね。