【連載】田中希実の父親が明かす“共闘”の真実 Vol.12(最終回) 田中希実が見せた「どん底からの立て直し」
田中希実が見せた「どん底からの立て直し」 父親が明かす“共闘”の真実 <最終回>
田中希実。日本女子中距離界に衝撃を与え続けている小柄な女王。その専属コーチは実父・田中健智である。指導者としての実績もなかった男が、従来のシステムにとらわれず「世界に近づくためにはどうしたらいいか」を考え続けてきた。そんな父娘の共闘の記憶を、田中健智の著書『共闘』から抜粋しお届けする短期連載。 【画像】2023年世界選手権ブダペストでの5000メートルで日本新記録を更新した田中希実 最終回となる第12回目は、父娘がぶつかり合い、健智氏から「チーム田中希実を解散しよう」とまで言わしめた、2023年の世界選手権ブダペスト・1500メートル準決勝の直後のエピソードから。その後の5000メートル予選で日本記録を更新、決勝で26年ぶりとなる入賞を果たすことになる、娘・希実の心の変化に迫る。 -------------------- (娘・希実と)二人きりで冷静に話し合う時間を持てたのは、衝突した翌日、1500メートルの決勝を観戦した帰り道だった。会場から宿舎に戻るバスの車中、私たち以外の乗客が降りた後、しんと静まる中で「今日のレースを見てどうだった?」と私から切り出した。 自分が進めなかったレースを見届けるのは悔しかっただろう。だが、希実だけでなく、全米チャンピオンのニッキー・ヒルツらトップ選手も準決勝で落ちている。彼女たちはきっと、希実以上に国内での期待を受け、決勝でどんなパフォーマンスをするのかを考えてこの場に向かってきたはずだ。世界のトップ選手が強い思いを持って臨んでも、あっけなく跳ね返されてしまうのが、世界選手権や五輪のトラックなのだ。希実のように、後ろ向きな姿勢でレースに臨むのは、他の選手に対しても失礼なことで、結局、1500メートルと同じようにトラックに跳ね返されてしまうだろう。 「みんなは、希実の『がんばる』という一言が聞きたくて、ここまで一緒についてきたのに、本人が後ろ向きじゃダメだよね。何とか気持ちを持っていこうよ」 彼女も、「チーム解散」の言葉を受けて、自らの言動を反省し、冷静に受け止めたようだった。これからレースまでどう動いていくべきなのか、どんなレースにしたいのか…、あのバスの車中で「和解」して、話し合う時間を持てたからこそ、5000メートルのレースに向けて立て直すことができたのだと思う。 翌日の5000メートル予選、2組目に出場した希実は、ハッサンの後方に迷いなくつき、先頭グループで最後まで粘り切り、14分37秒98でフィニッシュ。廣中さんが東京五輪で出した日本記録を15秒塗り替え、ドーハ、オレゴンと3大会連続での決勝進出を決めた。 中2日で迎えた決勝は、ペース変動の激しい展開となった。最初の1000メートルを2分57秒で入ると、2000メートルのラップが3分07秒、3000メートルが3分12秒とペースダウン。希実は中盤から後方でレースを進めていたが、残り4周で再びペースが上がると、反応。アフリカ勢から離れることなく、ラスト1周の勝負に加わった。残り300メートルで10番手、200メートルで入賞圏内に、100メートルで6番手…最後の最後に抜かれながらも、なんとか8位を守り切り、この種目で26年ぶりの入賞を果たすことができた。 2023年は特に、5000メートルのレースを減らし、1500メートルへの出場を重ねたシーズンだった。それも、ただレースに出場するだけでなく、中盤からビルドアップにしたり、ラスト1、2周のラップを上げたり、色々なパターンを試して、彼女の"引き出し"を増やすことを意識してきた。5000メートルは今季3大会目だったが、1500メートルとトータルで取り組んできたからこそ、ペース変動にも対応できたのだろう。 世界の舞台で、日本人が決勝のラスト1周まで、しっかり勝負の場に残る―。ブダペストは、これまでの複数種目出場などの取り組みが一つとなり、私たちの理想とするところの「片りん」が見えた希望のレースだった。 そして同時に、彼女の精神的な成長の「兆し」を感じる9日間でもあった。それはレース後、彼女が取材陣に対して発した「私一人じゃここまで来られなかった」という周囲への感謝の一言にも表れていた。 私の性格を引き継いでしまったのか、希実は「誰かのため」や「周りのおかげ」と思っていても、なかなか口に出して言いたがらない。口先だけになってしまうのが嫌で、相手に伝わらなくても、自分が心の中で感謝していれば良いと思ってきたのだろう。だが、ブダペストでの衝突を経て、自分の一言で周りが救われるし、「一人では戦えない」ということを再確認できたはずだ。【了】 <田中健智・著『共闘セオリーを覆す父と娘のコーチング論』第5章-プロ転向での成長-より一部抜粋> 田中健智 たなか・かつとし●1970年11月19日、兵庫県生まれ。三木東高―川崎重工。現役時代は中・長距離選手として活躍し、96年限りで現役引退。2001年までトクセン工業で妻・千洋(97、03年北海道マラソン優勝)のコーチ兼練習パートナーを務めた後、ランニング関連会社に勤務しイベント運営やICチップを使った記録計測に携わり、その傍ら妻のコーチを継続、06年にATHTRACK株式会社の前身であるAthle-C(アスレック)を立ち上げ独立。陸上関連のイベントの企画・運営、ランニング教室などを行い、現在も「走る楽しさ」を伝えている。19年豊田自動織機TCのコーチ就任で長女・希実や、後藤夢の指導に当たる。希実は1000、1500、3000、5000mなど、数々の日本記録を持つ女子中距離界のエースに成長。21年東京五輪女子1500mで日本人初の決勝進出を果たし8位入賞を成し遂げている。23年4月よりプロ転向した希実[NewBalance]の専属コーチとして、世界選手権、ダイヤモンドリーグといった世界最高峰の舞台で活躍する娘を独自のコーチングで指導に当たっている。
編集部01