Jリーグ登録選手枠の拡大と選手のポリバレント化/六川亨の日本サッカーの歩み
すでに当サイトでも紹介したが、Jリーグは29日の理事会で、来シーズンからベンチ入りメンバーをこれまでの7名から9名をエントリーできるように変更した。すでに今シーズンのルヴァン杯はエントリー20名だったが(延長戦があるため)、Jリーグは18名のままで7名の交代枠だった。 しかし来シーズンからはJ1~J3とルヴァン杯に加え、J1・J2昇格プレーオフ、J3・JFL入替戦も1試合のエントリーメンバーは20名になることが決まった。 これは従来3名の交代枠だったのが、新型コロナウイルスの影響で5枠に増加したことで「戦術の幅の拡大や、育成や経験のためのベンチ入り機会の増加」とその背景を説明。5枠の増加は新型コロナウイルスによる臨時の措置だったものの、2022年6月にFIFAが恒久化したことで今回の決定につながった。 IFAB(国際サッカー評議会)が公式に選手交代制度を導入したのは1953年と言われている。しかし当時の具体的な記録は残されていない。 W杯で選手交代が初めて採用されたのは1970年のメキシコW杯からだった。その理由は、前回66年イングランド大会で優勝候補だったブラジルのペレが、ヨーロッパ勢の反則まがいのたび重なるチャージで負傷退場を余儀なくされたことに起因する。 このため交代制度のなかった66年大会までは、負傷者が出ても少ない人数のまま戦わなくてはならなかった(イエローカードとレッドカードも同様の理由から70年メキシコW杯から採用された)。 そこで5名のベンチ入りメンバーを認め、その中から選手を交代させることが可能になったわけだが、当時のヨーロッパリーグの交代は2名までで、3名まで認められるようになったのは1995年から。W杯も1998年フランス大会から3名の交代枠が認められるようになった(Jリーグも93年開幕当初の交代枠は2名までだった)。 5名エントリーで交代枠が2名ないし3名だった時代は、まずGKは必ず1名エントリーする。これは今も昔も変わらない。そしてDF1名、MF1名、FW2名というのがオーソドックスなベンチ入りメンバーだった。 基本的に勝っていたら、負傷者が出ない限り交代はしない。ビハインドになった際に攻撃を活性化、もしくは反撃の切り札として攻撃陣の選手を多く入れるのがオーソドックスなベンチ入りのメンバー構成だった。 しかし時代とともにベンチ入りメンバーの構成もかなり変わってきた。GK1名は不変で、実力的に上位のチームが守備固め要員としてDFを多くエントリーし、劣勢が予想されるチームはFW陣の人数を増やすのも昔から変わらない。 変化があったのは、ポリバレントな選手が格段に増えたことで、単純に「攻撃の選手、守備の選手」とくくれなくなったことだろう。 例えば町田の望月ヘンリー海輝は右SBだが、黒田剛監督は長身の彼を終盤のパワープレー要員として前線で起用したことがある。4BKのサイドバックが3BKではウイングバックになるのは当り前だし、その逆にFWが1列下がることもある。 昨日の横浜FM対浦和戦では、開始6分に負傷した横浜FMの右SB加藤連に変わって天野純が起用されると、ボランチの小池龍太が右SBに入るなど、中盤の選手はどのポジションでもプレーすることを要求される時代になっている。 脳しんとうを除いて交代選手は5名まで、そして交代はハーフタイムをのぞき3回までは変わらない。しかしエントリーメンバーが7名から9名に増えたことで、監督の選択肢は広がったことは間違いないだろう。 すでにルヴァン杯で経験済みとはいえ、この交代枠の拡大が戦術にどのような変化をもたらすのか(あるいは、もたらさないのか)。ただ一つ確実なのは、選手層の厚いチームはやはり有利なルール改正と言えるのではないだろうか。 文・六川亨
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