谷川俊太郎さん死去 詩紡ぎ心通わせ 静岡の「連詩」に積極参加、分かりやすい詩作を実践 県内の校歌作詞も
国民的詩人の谷川俊太郎さんの訃報が伝わった19日、静岡県の関係者からは悼む声と共に、日本語の魅力を伝えた功績をかみしめる言葉が聞かれた。多彩な詩人らが静岡で共同制作する「連詩」に積極的に参加し、開かれた場で分かりやすい詩作を実践。県内の学校で校歌を作詞するなど優しい表現で県民と心を通わせた。 複数の参加者がリレー形式で紡ぐ「連詩」の提唱者で「しずおか連詩の会」を始めた詩人の故大岡信さん(三島市出身)とは盟友。大岡さんに代わり16年にわたって仕切り役を務める詩人野村喜和夫さん(73)=本紙読者文芸選者、東京都=は「言語のあり方も発想もニュートラル。現代詩特有の難解な言葉ではなく、誰もが納得できる普通の日本語で深い真実を突いていた」と語った。 2017年、連詩の創作を共にした谷川さんを「とてもリラックスして、遊び心を持って参加していた」と述懐し、2人の大家が開いた連詩の道を引き継ぐことを誓った。主催する県文化財団で事業を担当した河合弘倫さん(41)は「数知れない詩を手がけてきた人なのに、生き生きと創作していた。詩作の楽しみを伝えてくれた」と感謝を述べた。 谷川さんは現在も歌い継がれる県内各地の校歌も作詞した。1965年、県立静岡東高の校歌制定時に在学し、現在は同高非常勤講師の平裕人さん(74)は校歌を「東高の精神そのもの」と表現する。当時の関係者らが期待の新星としてまだ30代だった谷川さんの自宅を訪ねて作詞を依頼したところ、高校周辺などを巡って約半年かけて完成させたという。 同高創立20周年の記念行事には谷川さんを招待した。教諭として勤務した平さんは「大きな声の校歌合唱をうれしそうに聴いていた」と懐かしむ。「ひたむきにおおらかに」という歌詞の一節は校内のさまざまな場面で使われている。 今年3月で閉校した島田市の旧神座小には、谷川さんが贈った「神座小学校の詩」が彫られた詩碑が残る。99年、児童が手紙を送ったことをきっかけに、学校訪問や子供たちの詩集の寄贈を通して交流が続いた。 過去に校長を務め、詩碑を提案した麻布文夫さん(79)は「児童の話をじっと聞き、同じ目線から話をしているのが印象的だった」という。閉校から間もない悲報にさみしさを口にしつつ「卒業生には谷川さんから学んだ『自分の気持ちを表現することの大切さ』が受け継がれているはず」と話した。
静岡新聞社