【バレー】東京GB後藤陸翔が近畿大で着けた背番号「11」の秘話。WD名古屋のあの先輩に「もらったんですよ。ください、って」
譲り受けるにあたって背番号を1から11に変更
後輩の打診にうれしさを覚えたのは、当の中野本人。そのときの記憶を呼び起こすに、相談の仕方はもっとラフだった。 「ユニフォームどうする? 持って帰るか~、みたいな話をしているなかで、(後藤)陸翔が『俺、それ着たい。置いていって』みたいな感じで。監督にも確認してオッケーもらえたんで、持っていた2枚ともあげました。 そう言うてもらえたのは、素直にうれしかったです。こんなボロボロでエエんかな? って思いましたけど。もっと穴あけておけばよかった(笑)」 近畿大の部員が所持するのは一人2枚。1年生にその時点の空き番号が割り当てられると、原則は引退するまで着用する。卒業すれば自分のもの。次を担う部員は新しく自分用にユニフォームを購入することになる。 中野がつけていた「11」は、これまでにキャプテンがつけていた実績もある番号だった。とはいえ、「いつでもキャプテンを交代できるように(笑)」と中野はキャプテンマークをテーピングで施した。 後藤自身、入学当時は近畿大でどちらかといえばエースナンバーである「1」を与えられ、最初の2年間を過ごしている。そうして憧れの先輩から【実着用、ただしキャプテンマークなし】のユニフォームを譲り受けたというわけだ。
追いかけるようにキャプテンに就任した後藤
下級生時からレギュラーを務めていた後藤だったが、いざ「11」を着けてプレーするうちに、最終学年に懸ける思いが強くなった。 「振り返れば、倭さんが卒業してからかもしれません。キャプテンやりたいな、って意識し始めたのは。 近畿大は全員が寮生活なのですが、私生活やふだんの言動をお互いを見ているし、見られてもいる。だからこそコートの中でも外でも立ち居振る舞いが大事になってきます。シビアなことを言うときだって出てくる。 それに、どうしても部員が多いので、パフォーマンスのレベルに差はあるわけです。でも倭さんはたとえレベルが及ばない選手でも、見捨てることなく接していました。それがやっぱりすごかった。いざ自分がキャプテンをやってみると、練習一つとっても苦労しましたから」 卒業してもなお、尊敬は増す一方だった。そんな後輩の姿を、同じキャプテンの先輩として中野は当時、このように見ていた。 「あの代を見ると、やっぱり陸翔がキャプテンをやるだろうな、と思っていましたよ。プレーも、人柄も。 あいつね、ストイックなんですよ。表現は悪いですが、“変わり者”レベル(笑) でも、そういう選手こそ先頭に立ってまえ、が僕の考え。『お前の色のチームにしろ。行くとこまで行ってしまえ』と伝えました」