強制引退直前の“奇跡” ガールズケイリン史上最高144万円車券を演出「競輪の神様は見ていてくれた」/猪子真実さんインタビュー後編
地道ながらも悔いのない競輪人生
12年間で通算21勝、優勝はゼロ。華々しい競輪人生ではなかったかもしれない。猪子は競輪学校在籍時から周囲との力の差を感じながらも自分なりの使命を見つけ、前向きに選手生活を送っていた。 「最初は同期の中で一番最初にクビになると思ったけど、長く続けることができたのは競輪を楽しいと思えたから。私は最終日の一般戦でどれだけ車券に絡めるかがモチベーションでした。ガールズケイリンはまだ成績によるクラス分けがないので、予選は力上位の選手に食らい付いていくこと、3着までになんとか入ることだけを考えて走っていたけど、一般戦は違う。自分で考えながら走って、何とかできたことが楽しかった」 ガールズケイリン2期生としてデビューして12年、選手人生に悔いはない。 「自分の居場所で頑張ろうと思ってできることをやってきたので、悔いはありません。30歳を過ぎてからの挑戦でしたが、私の力は出せたのかなと思います。師匠の笠松信幸さんや練習仲間のおかげで悔いなく終わることができました。ガールズケイリンの選手になれて本当によかった。仕事で全国に行けるし、そのおかげで全国に友だちもできました。できれば19、20歳からやってみたかったかな。生まれ変わってもやれるなら、またガールズケイリンをやりたいです」
デビュー当初のホームバンクだった一宮競輪場は2014年に廃止となり、その後は名古屋を本拠地として練習を積んだ。仲間たちへ感謝し、今後は愛知のガールズケイリン選手たちに思いを託す。 「名古屋のみなさんには本当にお世話になりました。私の脚力に合わせて前で引っ張ってくれたり、バイク誘導してくれたりと和気あいあいとやっていました。練習も楽しくできました。名古屋では中野咲、當銘直美、永禮美瑠が男子選手に食らいついて練習しているのを見ています。最初の頃には考えられなかったくらいガールズケイリンのレベルが上がりました。今後はバンクの外から見守りたいです」