二十歳のとき、何をしていたか?/堀道広 二十歳になる1か月前、富山から夜行バスで東京へ向かった。それは、あの大事件の朝だった。
昆虫みたいだった人生を、スウィングしたかった。
バキーンと目に焼き付くワイドな肩幅。屈強な胴周り。ピカソみたいな配置の鼻や目。そんな奇抜なキャラクターを描く漫画家の堀道広さんは、会えば柔和で温厚で、あの作風はどこから? と思わずにいられない。でも話を聞くうち、確かにあの世界の創造主だ! とガッテン。 【取材メモ】「家族がいない日に4人前のボロネーゼを作ってたらふく食べたら、めちゃくちゃテンション上がりました」と話す堀さん。 「二十歳になる1か月前に家出して、夜行バスで富山から池袋に来ました。その朝に地下鉄サリン事件があったんです」 待ち合わせた池袋のルノアールで、堀さんはそう言ってはにかんだ。1995年に社会を震撼させた大事件じゃないか。はにかみと内容がそぐわない気がするけれど、堀さんは引き続きはにかんでいる。
「朝5時に池袋に着いて、どの店も開いてないから駅のベンチで寝てたんです。そうしたら警察官に連行されて、『東京は怖いところだぞ!』って怒られて。それまで警察に怒られることなんてなかったから萎縮しちゃって、池袋観光だけして、その日の夜行バスですぐに帰りました」 翌朝、堀さんは実家で朝食を食べながら、ニュースで事件のことを知ったという。思い立って家を出た日に大事件が起こるなんてそうあることじゃない。というか、そもそもどうして家出なんて? 「高校が、底辺の高校だったんです。僕も周りもダメ人間ばっかりで、『終わってる』が口癖で。美術系ならアホでも誤魔化せるかなと思って美大を受けたけど、落ちて、仕方なく地元の短大に行くことに。昆虫みたいな思考回路だった。この人生で考えるベストのゴールが見えなかった。でも心のどこかでスウィングしたいと思っていた。それで、入学を機に家出でもして、人生をチェンジしてやろうと」 入学してすぐ「来年の3月に東京に行く」と決意。二十歳の誕生日の1か月前を決行日とし、カレンダーに丸を付けた。東京で部屋を借りるため、コンビニと物流配送センターのふたつのバイトを掛け持ち、コツコツと家出資金を貯めた。 「配送センターでカップラーメンの裏に『うんこ』って書いておくと、次の日自分が働いているコンビニに『うんこ』と書かれたカップ麺が納品されてくる。これが物流かあ~って楽しんでました(笑)」 1年後。30万円ほどの貯金を手にした堀さんはバイトを辞め、『魔女の宅急便』のキキのごとく友達に見送られ、夜行バスで富山を後にした。3月19日のことだった。そして翌朝、霞ケ関駅で事件が起こる。サリンが撒かれた丸ノ内線は池袋を通過するから、着の身着のままで寝ていた堀さんが怪しまれたのも当然だ。 「被害者か犯人かわかりませんからね。コンタクトの保存液まで調べられました。あとで知ったんですけど、犯人のひとりも池袋から乗車してたんですよね。もしかしたら肩がぶつかっていたかもしれない。歴史に触れてたんじゃないかと」