「祖父はビルマで6年戦った」ピストジャムがインパール作戦に従軍した祖父の体験を追憶…小説『同志少女よ、敵を撃て』を読んで(レビュー)
昨年、ピース・又吉直樹が文学を愛する芸人を集めて立ち上げた「第一芸人文芸部」。その活動の一環として生み出された文芸誌が「第一芸人文芸部」だ。 第一芸人文芸部に所属する読書好き芸人のピストジャムは、本屋大賞を受賞した『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬・著、早川書房)を読み、インパール作戦に従軍した祖父の話を想起したという。 今から80年前に日本陸軍がビルマ(現ミャンマー)で展開したこの作戦では、約10万人が従軍し、戦死者は3万人に上った。生き残った兵士の多くも飢えや病に苦しんだという“史上最悪の作戦”を経験したピストジャムの祖父は、彼に何を語ったのか――。 「第一芸人文芸部」創刊準備号から抜粋して紹介する。 *** 『同志少女よ、敵を撃て』は昨年、直木賞候補に選ばれ、本屋大賞を受賞した逢坂冬馬のデビュー作。その前年アガサ・クリスティー賞に投稿され、史上初の選考委員全員から満点を獲得し刊行にいたった。作者は会社勤めのかたわら、10年以上執筆活動を重ねてきたという。
舞台は、第二次世界大戦中の独ソ戦。ドイツ軍に襲撃され母を失った少女が、復讐に燃え女性狙撃兵訓練学校に入る。狙撃小隊の一員となって戦場で活躍するが、失われていく倫理観と自己矛盾に苦しみ、思い悩む物語。 これは、スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』へのアンサーやと思った。廃ビルから米兵3名の命を奪った残酷なスナイパーの正体は少女やった。この小説の主人公は、まるでその少女。「戦うのか死ぬのか」という究極の選択を迫られ、戦うことを選んだ女性が行きつく先は……。 守るものがあるんやったら戦えって言ってるわけじゃない。根底に流れるのは戦争への嫌悪。敵兵もひとりの人間で、自分も怪物にならへんかったら殺されると感じて戦ってるし、戦時下の性暴力を血まなこで糾弾する主人公は自らの殺人行為をゲームのように楽しみ出す。戦争という狂気が人を変えてしまう怖さ。 小学生のころ、夏休みの宿題で祖父に戦争体験の取材をしたことがある。知ってたことはいくつかあった。祖父は戦争が終わって1年経っても帰って来ず、もう出兵先で戦死したんやと誰もが思って葬式もあげたとか、そのとき祖父はジャングルに隠れて生活してたとか、父は祖父が帰国してからできた子供やとか。 孫の自分からしたら温厚でやさしさの塊のような祖父が、そんな過酷な経験をしてたなんて想像もできひんかった。でも、祖父から聞いた話は、そんなレベルを優に超えたえげつないもんやった。 祖父は大阪の歩兵隊300人の一員として、ビルマで6年間戦った。インパール作戦という日本兵が3万人も亡くなった作戦にも従軍し、インドの国境近くまで500キロ近く行軍したと言う。これは白骨街道と呼ばれる地獄の行軍やった。 山や密林をひたすら歩かされ、飢餓に苦しみ、食べられるものはなんでも口にした。ごちそうは蛇やったとも。熱病で倒れた人はそのまま死んでいったらしい。 戦闘では、塹壕で戦ってるときにとなりの塹壕に逃げ込もうとしたら、その塹壕に爆弾が打ち込まれて目の前で仲間が粉々になったとか、ジャングルで用を足してる途中に殺された仲間が大勢いたとか。密林に潜んで暮らしてたときは、終戦を知らせるビラが飛行機からまかれたり、拡声器で投降をうながす声明が流れてきたけど、出て行ったら殺されると思って、出れなかったと聞いた。 所属した歩兵隊で生き残ったのは6人だけ。取材の最後に、「じゃ、おじいちゃんも人殺したん?」と尋ねた。そしたら祖父は、「そら、おじいちゃんが撃った弾にあたって死んだ人もいたかもなあ」と静かに答えた。 この小説が発表された3か月後、ロシアがウクライナに軍事侵攻した。戦争は、いまも続いている。 [レビュアー]ピストジャム(芸人) 1978年9月10日生まれ。京都府木津川市出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学卒業後、こがけんを誘って吉本興業の養成所へ入所(東京NSC7期生)。2002年4月にデビューし、「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビを経て、ピン芸人となる。アイドルのラジオ番組 MC などでも活躍。下北沢カレーアンバサダー。かまぼこ板アート芸人。2022年『こんなにバイトして芸人つづけなあかんか』(新潮社)を発売。 協力:吉本興業 第一芸人文芸部 Book Bang編集部 新潮社
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