いすゞ自動車が放った最高傑作「117クーペ」。その美しいスタイルの秘訣とは?【歴史に残るクルマと技術034】
その後もジェミニ、ピアッツァと名車を投入するも、乗用車事業から撤退
いすゞは、117クーペの後にも、「ジェミニ(1974年~)」「ピアッツァ(1981年~)」といった個性あふれる名車を世に送り出した。 しかし、リソース不足から乗用車の商品力強化に取り組めず、また1990年代前半のバブル崩壊もあり、乗用車の自社生産から撤退することを決定。2002年には、SUVとOEM販売の乗用車もすべて止め、乗用車事業から完全撤退したのだ。 当時のいすゞは、GMの傘下にあり、自由な戦略が立てられなかった。GMの都合で乗用車に十分な投資ができなかったことが乗用車撤退の要因だが、2000年以降の業界再編の動きの中では、乗用車事業からの撤退は必然であったのかもしれない。 この後のいすゞの動きは、現在に至るまで二転三転。2006年4月にGMとの提携解消、同年11月にトヨタと資本提携を締結するも、2018年には資本提携を解消。一時期、GMと再提携の噂も上がったが、2021年にトヨタと再度資本提携することを決定した。 商用車には乗用車以上にCASE(コネクティッド、自動運転、シェアリング、電動化)への要求が高まっており、これらの先進技術をコラボして推進していくのが狙いと思われる。
いすず「117クーペ」が発売された1968年は、どんな年
1968年には、117クーペの他に日産自動車「ローレル」、三菱自動車「デリカ」も登場。ローレルは、ブルーバードとセドリックの中間に位置した日本初の“ハイオーナーセダン”として登場、デリカは現在も人気の4WDミニバンだが、初代はトラック/バンの商用車として誕生した。 その他、この年には三億円強奪事件が起こり、川端康成氏がノーベル文学賞を受賞、霞が関ビルが完成、郵便番号制度が始まった。「少年ジャンプ」創刊、マンガ「ゴルゴ13」連載開始、大塚食品「ボンカレー」、明治製菓「カール」が発売されたのもこの年だ。 また、ガソリン55円/L、ビール大瓶132円、コーヒー一杯83円、ラーメン84円、カレー126円、アンパン20円の時代だった。 日本の自動車史上もっとも美しいクルマのひとつとして賞賛される「いすゞ117クーペ」。巨匠ジウジアーロが描いたデザインを見事に再現した、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。
竹村 純