歌手・伊藤咲子さん 一度落ちた「スタ誕」で朱里エイコさんの歌い方をマネたら370点の高得点【人生を変えた一曲】
朱里さんとはデビューと芸能界復帰時の2度の縁
芸能活動中に朱里さんとはお会いできず、実際にお会いしたのは私がお休みしていた期間。“あの人は今”のような番組があってオファーがありました。引退して何年も経つし、事務所には入っていない立場ですから、遠慮しようと思ったのですが、台本を見ると朱里さんの名前があり、「朱里さんと会えるんだ!」と急に出演を決めました(笑)。 局のスタジオでお会いした朱里さんは年齢も重ねられていたし、当時ご病気もされていたからか、私がイメージしてきたお姿とは少し違っていましたが、この日に私の未来を変える出来事があったんです。朱里さんをマネジメントされていた方が今私が所属している事務所社長の合田道人さん(歌手、作詞・作曲家)。 その合田さんから「伊藤咲子がひとりでスタジオ入りしてちゃダメだよ」と声をかけていただき、その場でいろいろとお話をさせていただきました。歌手活動再開を誘われ、悩んだ末、2003年に復帰を決意しました。 朱里さんの名前が台本になければ、その番組に出演しなかったし、合田社長と会うこともなく復帰はしなかったと思います。朱里さんは私の2回のデビューの恩人。縁というか不思議ですね。でも、私の復帰後に亡くなられて。早すぎると今でも思います。15歳当時「見捨てられた子のように」という一曲に衝撃を受けた子供はそんなにいなかったと思うんですよ。「スター誕生!」で、「見捨てられた──」を歌った女の子は私だけじゃないかと思います。たいていは天地真理さんら当時のアイドルの曲か、「スタ誕」でデビューした森昌子ちゃんの曲を歌う女の子が多かったから。 復帰から20年余り、今年でデビューから50年。まさかこんな日が来るとは(笑)。今月の50周年記念コンサートはチケットが40分で完売して驚きました。広いホールではないのですが、03年に復帰コンサートを行ったホールなので「ここでやってほしい」と古くからのファンの方に言われて開催。ファンはありがたいです! 「スタ誕」ファミリーは今も結束が固く、実はこの取材の前日、池文さんご夫婦のお墓参りでスタ誕出身歌手、番組スタッフが大勢集まりました。池文さんの娘さんと昔話をしていると楽しくて、3次会まで行っちゃいました(笑)。池文さんご夫婦は私には芸能界のお父さん、お母さんで、スタ誕ファミリーと一緒に昔話をするとデビューした15歳の頃に戻れます。これからも頑張ります! ▽伊藤咲子(いとう・さきこ)1958年4月、東京都出身。74年、「ひまわり娘」でデビュー。「乙女のワルツ」「きみ可愛いね」などヒット曲多数。89年から活動休止。2003年に再開。歌手生活50周年記念アルバム「それいゆ」。日本コロムビアから11月27日に発売。新曲「衣ずれの海」「ひまわり娘(NEWバージョン)」をはじめ、オリジナルからカバー曲まで収録。