【バブル崩壊以降の日本の停滞はなぜ起きた?】米国流のコピーやめ、独自の強みを生かした市場経済の構築を
私の著書である『日本経済のマーケットデザイン』(日本経済新聞出版社)では、繰り返し「完全自由市場というものは存在しない」、「市場は創造するものでクラフト、つまり『既存の制度などを利用して、各国の文化や状況に応じてデザインしていくもの』」と強調している。 そもそも完全自由市場という概念は経済学の理論として生まれたものだ。市場を自主独立に任せ、失敗があった時のみ政府が介入する、という考えだが、現実にはこうしたシステムは存在しない。根本的に経済学という学問上の「市場VS政府」という発想が埋め込まれた概念だ。 しかし政府にとっても自由市場という考えが、有利となる場合もある。特に米国ではレーガン政権下の「新自由主義経済」の下、イデオロギーとして政治利用された経緯もある。つまり経済学上の概念と政治的利用により、自由主義市場という言葉が独り歩きしてきたと言える。 しかし現実を見ると、例えば「規制緩和」という言葉は、それにより競争を激化させるというイメージがあるが、実際にはより規制を強化する結果となる場合が多い。規制緩和という考えは、シカゴ学派のミルトン・フリードマンなどが提唱した概念で、経済改革の一つの手段として生み出されたものだが、企業とはもともと競争を好まない存在だ。 1980年代、日本では中曽根康弘政権下で3公社の日本電信電話公社、日本国有鉄道、たばこと塩を扱う日本専売公社を民営化し、それぞれ、NTT、JR、JTになった。規制改革の象徴にもなったが、民業圧迫などと経済界は大きく反発したのは記憶に新しい。 また、日本では、「規制改革」を掲げつつも、中央省庁が依然として運輸や電力、通信業界に対するさまざまな規制権限を維持している。事実、日本では多数の「規制緩和」が進められたにもかかわらず、現実として規制の数は2002年に1万621件だったのが、15年には1万4908件に増えている。