アイルランド出身の詩人が「らせん訳」で引き出す「百人一首」の深み
言語の違いが浮き彫りにする「自然観」
中でも最も惹かれたのは、猿丸太夫による「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき」の主語をめぐる思索と翻訳。 「奥山に紅葉踏み分け」たのは、いったい誰だろうか? 山に入って行った「私」か、それとも「鹿」か。言われてみるとどちらとも取れる。というか、どちらでも取れるのが、主語を曖昧にする日本語の特徴なのだ。著者は「I」が必ず中心となる西洋の詩(特にデカルトが「我」を強調した近代以降)と対比しながら、「I」が解け、自然と一体化する日本の自然観を指摘する。更にその感覚を見事な英訳にしているので、ぜひ実際に見ていただきたい。 そしてこの鋭くも柔らかい感性が、本書の基底を成している。というのも、本書には百人一首自体の話だけではなく、著者の個人的な体験も綴られている。百人一首からひろがる緩やかな随筆といった趣だ。ドナルド・キーンや加藤アイリーンとの思い出、アイルランドと日本における日照時間の受け止め方の違いなど、豊かなものばかりで、それがこの翻訳や読解を形作っているのだと了解されるに違いない。 歌を解釈するにはただ研究を重ねるだけではなく、いかに生きるかも肝要だ。実際に日本の自然や文化を生き、人々と交流をつづける著者だからこそ、百人一首の深みに到達できているのだろう。その柔らかな凄みをぜひ堪能してほしい。 ◎渡辺祐真/スケザネ(わたなべ・すけざね)1992年生まれ。東京都出身。ゲーム会社でシナリオライターとして勤務する傍ら、2021年から文筆家、書評家、書評系YouTuberとして活動を開始。2023年に退社し専業の書評家・文筆家となる。毎日新聞「文芸時評」、共同通信社「見聞録」などを担当。著書に『物語のカギ: 「読む」が10倍楽しくなる38のヒント』(笠間書院)、編著に『季刊アンソロジスト』(田畑書店)などがある。
渡辺祐真