“逆境の強レア大先輩”梅沢富美男&小林幸子が『激レアさんSP』に降臨 若林正恭「放送できないことだらけでしょ!?」
小林幸子が「大ピンチになるたびやりすぎなくらい大胆にハンドルを切って生き抜いてきた人」として登場
続いてやってきたのは小林幸子。昭和39年に、わずか10歳にして歌手デビュー。昭和54年には「おもいで酒」が200万枚を売り上げる大ヒットを記録した、言わずと知れた歌謡界の大スターだが、今回は「大ピンチになるたびやりすぎなくらい大胆にハンドルを切って生き抜いてきた人」として登場する。 まずは、小林の幼少期からひもといていくと、モノマネ歌番組でチャンピオンを獲得し、事務所にスカウト。なんと9歳で単身上京し、10歳で四谷三丁目でいきなり一人暮らし。「これはすごい!」と向井は目を見開く。小林のデビュー曲は、20万枚をセールスするヒットに。世間からも認知され、「月に30本は歌番組に出ていた」(小林)というほど多忙な日々を送った小林だが、ここから一気に逆風が…。少女時代の小林が垣間見た、芸能界の怖さとは。 そして、15歳にして既に“やりすぎ”の片鱗が…。また、「おもいで酒」のヒットにまつわるマル秘エピソードも語っていくが、向井が「落語を聞いているみたい」と語った、小林の流ちょうなおしゃべりにも注目だ。 この曲のヒットで、小林の代名詞ともいえる『紅白歌合戦』に初出場。小林が「歌番組なんだけど、歌番組じゃない」と語る、紅白の裏側とは。そして、毎回大きな話題となった大掛かりな衣装の裏に秘められた、小林のある思いとは。あの衣装を生み出すきっかけを作ったキーマンも明かす。しかし、歴代の豪華絢爛な衣装の紹介になると、若林がある指摘をして…。 そんな小林だが、華々しいキャリアの裏で「大人の事情で」(小林)大ピンチに陥ることに。マスコミから一斉に叩かれて“小林幸子潰し”に直面。逆境の中でやりとりした、兄と慕うさだまさしとの熱い交流が、若林をはじめ、スタジオに感動を呼ぶ。 そして「大ピンチになるたびやりすぎなくらい大胆にハンドルを切って生き抜いてきた人」の面目躍如。紅白歌手とは思えないまさかの活動で、これまでとは違うファン層に強烈アプローチ。ネットで大盛り上がりとなった、“ラスボス”誕生秘話に迫る。さらに、小林は感動の“紅白復活劇”の心境も語る。
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